めて置いて、小屋の前で私に燒いて呉れたり、母屋《おもや》の爐邊の方まで見せに持つて來て呉れたりしたのも、太助でした。
 何かにつけて私はイヂの汚ないやうなことばかり覺えて居ります。けれども、ずつと年をとつた人と同じやうに、少年の私にはそれが一番樂しい欲でした。斯樣なことを私は最初に貴女に御話するからと言つて、それを不作法とも感じません。種々な幼少《をさな》い記憶がそれに繋がつて浮び揚つて來ることは、爭へないのですから。序《ついで》に、太助が小屋から里芋の子を母屋の方へ運んで行きますと、お牧がそれに蕎麥粉を混ぜて、爐の大鍋で煮て、あの皹《あかぎれ》の切れた手で芋燒餅といふものを造《こしら》へて呉れたことも書いて置きませう。芋燒餅は、私の故郷では、樂しい晩秋の朝の食物《くひもの》の一つです。私は冷い大根おろしを附けて、燒きたての熱い蕎麥餅を皆なと一緒に爐邊で食ふのが樂みでした。口をフウ/\言はせて食つて居るうちに、その中から白い芋の子が出て來る時などは、殊に嬉しく思ひました。

        三

 昨日《きのふ》、一昨日《をとゝひ》はこの町にある榊神社の祭禮で、近年にない賑ひでした。町々には山車《だし》、踊屋臺などが造られ、手古舞《てこまひ》まで出るといふ噂のあつた程で、鼻の先の金色に光る獅子の後へは同じ模樣の衣裳を着けた人達が幾十人となく隨いて、手に/\扇を動かし乍ら、初夏の日のあたつた中を揃つて通りました。それ獅子が來た、御輿が來たと言つて、子供等は提灯の下つた家の門を出たり入つたりしました。
『御祭で、どんなに嬉しいのか知れません――』
 と姉さん達は斯の子供等のことを言ひましたが、兄の方は肩に掛けた襷の鈴を鳴らして歸つて來て、後鉢卷などにして貰ひ、黄色い團扇《うちは》を額のところに差して、復た町の方へ飛び出して行くといふ風でした。提灯に蝋燭の火が映る頃から、二人とも足袋跣足《たびはだし》にまで成つて、萬燈《まんどう》を振つて騷ぎ※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]りました。
 私も祭らしい日を送りました。町に響く太鼓、舁《かつ》がれて通る俵天王《たるてんわう》、屋臺の上の馬鹿囃《ばかばやし》、野蠻な感じのする舞――すべて、子供の世界の方へ私の心を連れて行くやうな物ばかりでした……
 毎年のやうに私は出して着る袷が二枚あります。母の手織にしたもの
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