幼き日
(ある婦人に與ふる手紙)
島崎藤村
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)八歳《やつつ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一人|隨《つ》いて、
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)馳け※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]る
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)なか/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−
一
私の子供が初めて小學校へ通ふやうに成つた其翌日から、私は斯の手紙を書き始めます。昨日の朝、吾家では子供の爲に赤の御飯を祝ひました。輝く燈火の影に夜更しすることの多い都會の生活の中でも、子供ばかりは夜も早く寢、朝も早く起きますから、弟の方も兄と一緒に早く床を離れました。兄は八歳《やつつ》、弟は六歳《むつつ》に成ります。お人好しの兄に比べると弟はなか/\きかない氣で、玩具でも何でも同じ物が二つなければ承知しないといふ風です。ところが其朝に限つて、兄の方には新しい鞄や、帽子や、其他學校用のものが買つて宛行《あてが》はれてあるに引きかへ、弟のためには子供持の雨傘と、麻裏草履としか有りません。弟は地團駄《ぢだんだ》踏んで、ぐづり始めました。兄と一緒に朝の膳に對つても、兄が晴々しい顏附で赤の御飯をやつて居る側で、弟は元氣もなく、不平らしく萎れて、不承々々に箸を執り始めました。そのうちに不圖《ふと》思ひ附いたやうに、食事中自分の膳を離れて、例の新しい雨傘を取りに立つて行きました。それを大事さうに自分の膳の側に置いて、それから復た食ひ始めました。家のものが皆な可哀さうに思つて笑ふと、弟は自分の爲たことを嘲り笑はれたと思つたかして、やがてその雨傘を元の場所へ仕舞に行つて、今度は好きな御馳走も食はずに泣き續けました。
學校までは二三町あります。そこへ通ふ子供は馬車や自轉車などのはげしく通る廣い道路を越して、町を折れ曲つて行くのです。昨日の朝は家のものが一人|隨《つ》いて、近所の子供や親達と一緒に學校へ行きました。今朝は送りにだけ行つて、試みに獨りで歸らせることにしました。
『兄さんは最早《もう》解つたやうな顏をして居ました。獨りで歸つて被入《い
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