薪材《まきざい》を取りに行くために要《い》るだけの林と、それに家とをあてがった。自作農として出発させたい考えで、余分なものはいっさいあてがわない方針を執った。
都会の借家ずまいに慣れた目で、この太郎の家を見ると、新規に造った炉ばたからしてめずらしく、表から裏口へ通り抜けられる農家風の土間もめずらしかった。奥もかなり広くて、青山の親戚《しんせき》を泊めるには充分であったが、おとなから子供まで入れて五人もの客が一時にそこへ着いた時は、いかにもまだ新世帯《しんじょたい》らしい思いをさせた。
「きのうまで左官屋《さかんや》さんがはいっていた。庭なぞはまだちっとも手がつけてない。」
と、太郎は私に言ってみせた。
何もかも新規だ。まだ柱時計一つかかっていない炉ばたには、太郎の家で雇っているお霜《しも》婆《ばあ》さんのほかに、近くに住むお菊《きく》婆さんも手伝いに来てくれ、森さんの母《かあ》さんまで来てわが子の世話でもするように働いていてくれた。
私は太郎と二人《ふたり》で部屋部屋《へやべや》を見て回るような時を見つけようとした。それが容易に見当たらなかった。
「この家は気に入った。思ったよりいい家だ。よっぽど森さんにはお礼を言ってもいいね。」
わずかにこんな話をしたかと思うと、また太郎はいそがしそうに私のそばから離れて行った。そこいらには、まだかわき切らない壁へよせて、私たちの荷物が取り散らしてある。末子は姪《めい》の子供を連れながら部屋部屋をあちこちとめずらしそうに歩き回っている。嫂《あによめ》も三十年ぶりでの帰省とあって、旧《ふる》なじみの人たちが出たりはいったりするだけでも、かなりごたごたした。
人を避けて、私は眺望《ちょうぼう》のいい二階へ上がって見た。石を載せた板屋根、ところどころに咲きみだれた花の梢《こずえ》、その向こうには春深く霞《かす》んだ美濃《みの》の平野が遠く見渡される。天気のいい日には近江《おうみ》の伊吹山《いぶきやま》までかすかに見えるということを私は幼年のころに自分の父からよく聞かされたものだが、かつてその父の旧《ふる》い家から望んだ山々を今は自分の新しい家から望んだ。
私はその二階へ上がって来た森さんとも一緒に、しばらく窓のそばに立って、久しぶりで自分を迎えてくれるような恵那《えな》山にもながめ入った。あそこに深い谷がある、あそこに
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