みやげ物をあつめに銀座へんを歩き回って来るだけでも、額《ひたい》から汗の出る思いをした。暮れからずっと続けている薬を旅の鞄《かばん》に納めることも忘れてはならなかった。私は同伴する人たちのことを思い、ようやく回復したばかりのような自分の健康のことも気づかわれて、途中|下諏訪《しもすわ》の宿屋あたりで疲れを休めて行こうと考えた。やがて、四月の十三日という日が来た。いざ旅となれば、私も遠い外国を遍歴して来たことのある気軽な自分に帰った。古い鞄《かばん》も、古い洋服も、まだそのまま役に立った。連れて行く娘のしたくもできた。そこで出かけた。
 この旅には私はいろいろな望みを掛けて行った。長いしたくと親子の協力とからできたような新しい農家を見る事もその一つであった。七年の月日の間に数えるほどしか離れられてなかった今の住居《すまい》から離れ、あの恵那《えな》山の見えるような静かな田舎《いなか》に身を置いて、深いため息でも吐《つ》いて来たいと思う事もその一つであった。私のそばには、三十年ぶりで郷里を見に行くという年老いた嫂《あによめ》もいた。姪《めい》が連れていたのはまだ乳離《ちばな》れもしないほどの男の子であったが、すぐに末子に慣れて、汽車の中で抱かれたりその膝《ひざ》に乗ったりした。それほど私の娘も子供好きだ。その子は時々末子のそばを離れて、母のふところをさぐりに行った。
 「叔父《おじ》さん、ごめんなさいよ。」
 と言って、姪《めい》は幾人もの子供を生んだことのある乳房《ちぶさ》を小さなものにふくませながら話した。そんなにこの人は気の置けない道づれだ。
 「そう言えば、太郎さんの家でも、屋号をつけたよ。」と、私は姪に言ってみせた。「みんなで相談して田舎《いなか》風に『よもぎや』とつけた。それを『蓬屋』と書いたものか、『四方木屋』と書いたものかと言うんで、いろいろな説が出たよ。」
 「そりゃ、『蓬屋』と書くよりも、『四方木屋』と書いたほうがおもしろいでしょう。いかにも山家《やまが》らしくて。」
 こんな話も旅らしかった。
 甲府《こうふ》まで乗り、富士見《ふじみ》まで乗って行くうちに、私たちは山の上に残っている激しい冬を感じて来た。下諏訪《しもすわ》の宿へ行って日が暮れた時は、私は連れのために真綿《まわた》を取り寄せて着せ、またあくる日の旅を続けようと思うほど寒かった。――そ
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