いやになったと見えますよ。もしかしたら、屑屋《くずや》に売ってくれてもいいなんて……」これほどの移りやすさが年若《としわか》な娘の内に潜んでいようとは、私も思いがけなかった。でも、私も子に甘い証拠には、何かの理由さえあれば、それで娘のわがままを許したいと思ったのである。お徳に言わせると、末子の同級生で新調の校服を着て学校通いをするような娘は今は一人もないとのことだった。
 「そんなに、みんな迷っているのかなあ。」
 「なんでも『赤襟《あかえり》のねえさん』なんて、次郎ちゃんたちがからかったものですから、あれから末子さんも着なくなったようですよ。」
 「まあ、あの洋服はしまって置くサ。また役に立つ日も来るだろう。」
 とうとう私には娘のわがままを許せるほどのはっきりした理由も見当たらずじまいであった。私は末子の「洋服」を三郎の「早川賢」や「木下繁」にまで持って行って、娘は娘なりの新しいものに迷い苦しんでいるのかと想《おも》ってみた。時には私は用達《ようたし》のついでに、坂の上の電車|路《みち》を六本木《ろっぽんぎ》まで歩いてみた。婦人の断髪はやや下火でも、洋装はまだこれからというころで、思い思いに流行の風俗を競おうとするような女学校通いの娘たちが右からも左からもあの電車の交差点《こうさてん》に群がり集まっていた。
 私たち親子のものが今の住居《すまい》を見捨てようとしたころには、こんな新しいものも遠い「きのう」のことのようになっていた。三郎なぞは、「木下繁」ですらもはや問題でないという顔つきで、フランス最近の画界を代表する人たち――ことに、ピカソオなぞを口にするような若者になっていた。
 「とうさん、今度来たビッシェールの画《え》はずいぶん変わっているよ。あの人は、どんどん変わって行く――確かに、頭がいいんだろうね。」
 この子の「頭がいいんだろうね」には私も吹き出してしまった。
 私の話相手――三人の子供はそれぞれに動き変わりつつあった。三人の中でも兄《にい》さん顔の次郎なぞは、五分刈《ごぶが》りであった髪を長めに延ばして、紺飛白《こんがすり》の筒袖《つつそで》を袂《たもと》に改めた――それもすこしきまりの悪そうに。顔だけはまだ子供のようなあの末子までが、いつのまにか本裁《ほんだち》の着物を着て、女らしい長い裾《すそ》をはしょりながら、茶の間を歩き回るほどに成人した
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