時沈まり返ってしまった。
どうかすると、子供らのすることは、病んでいる私をいらいらさせた。
「とうさんをおこらせることが、とうさんのからだにはいちばん悪いんだぜ。それくらいのことがお前たちにわからないのか。」
それを私が寝ながら言ってみせると、次郎や三郎は頭をかいて、すごすごと障子のかげのほうへ隠れて行ったこともある。
それからの私はこの部屋に臥《ね》たり起きたりして暮らした。めずらしく気分のよい日が来たあとには、また疲れやすく、眩暈心地《めまいごこち》のするような日が続いた。毎朝の気分がその日その日の健康を予報する晴雨計だった。私の健康も確実に回復するほうに向かって行ったが、いかに言ってもそれが遅緩で、もどかしい思いをさせた。どれほどの用心深さで私はおりおりの暗礁《あんしょう》を乗り越えようと努めて来たかしれない。この病弱な私が、ともかくも住居《すまい》を移そうと思い立つまでにこぎつけた。私は何かこう目に見えないものが群がり起こって来るような心持ちで、本棚《ほんだな》がわりに自分の蔵書のしまってある四畳半の押入れをもあけて見た。いよいよこの家を去ろうと心をきめてからは、押入れの中なぞも、まるで物置きのようになっていた。世界を家とする巡礼者のような心であちこちと提《さ》げ回った古い鞄《かばん》――その外国の旅の形見が、まだそこに残っていた。
「子供でも大きくなったら。」
私はそればかりを願って来たようなものだ。あの愛宕下《あたごした》の宿屋のほうで、太郎と次郎の二人《ふたり》だけをそばに置いたころは、まだそれでも自由がきいた。腰巾着《こしぎんちゃく》づきでもなんでも自分の行きたいところへ出かけられた。末子を引き取り、三郎を引き取りするうちに、目には見えなくても降り積もる雪のような重いものが、次第に深くこの私を埋《うず》めた。
しかし私はひとりで子供を養ってみているうちに、だんだん小さなものの方へ心をひかれるようになって行った。年若い時分には私も子供なぞはどうでもいいと考えた。かえって手足まといだぐらいに考えたこともあった。知る人もすくない遠い異郷の旅なぞをしてみ、帰国後は子供のそばに暮らしてみ、次第に子供の世界に親しむようになってみると、以前に足手まといのように思ったその自分の考え方を改めるようになった。世はさびしく、時は難い。明日《あす》は、明日は
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