曲がったような位置にあった。部屋の数が九つもあって、七十五円なら貸す。それでも家賃が高過ぎると思うなら、今少しは引いてもいいと言われるほど長く空屋《あきや》になっていた古い家で、造作もよく、古風な中二階などことにおもしろくできていたが、部屋が多過ぎていまだに借り手がないとのこと。よっぽど私も心が動いて帰って来たが、一晩寝て考えた上に、自分の住居《すまい》には過ぎたものとあきらめた。
適当な借家の見当たり次第に移って行こうとしていた私の家では、障子も破れたまま、かまわずに置いてあった。それが気になるほど目について来た。せめて私は毎日ながめ暮らす身のまわりだけでも繕いたいと思って、障子の切り張りなどをしていると、そこへ次郎が来て立った。
「とうさん、障子なんか張るのかい。」
次郎はしばらくそこに立って、私のすることを見ていた。
「引っ越して行く家の障子なんか、どうでもいいのに。」
「だって、七年も雨露《あめつゆ》をしのいで来た屋根の下じゃないか。」
と私は言ってみせた。
煤《すす》けた障子の膏薬《こうやく》張りを続けながら、私はさらに言葉をつづけて、
「ホラ、この前に見て来た家サ。あそこはまるで主人公本位にできた家だね。主人公さえよければ、ほかのものなぞはどうでもいいという家だ。ただ、主人公の部屋《へや》だけが立派だ。ああいう家を借りて住む人もあるかなあ。そこへ行くと、二度目に見て来た借家のほうがどのくらいいいかしれないよ。いかに言っても、とうさんの家には大き過ぎるね。」
「僕も最初見つけた時に、大き過ぎるとは思ったが――」
この次郎は私の話を聞いているのかと思ったら、何かもじもじしていたあとで、私の前に手をひろげて見せた。
「とうさん、月給は?」
この「月給」が私を笑わせた。毎月、私は三人の子供に「月給」を払うことにしていた。月の初めと半ばとの二度に分けて、半月に一円ずつの小|遣《づかい》を渡すのを私の家ではそう呼んでいた。
「今月はまだ出さなかったかねえ。」
「とうさん、きょうは二日《ふつか》だよ。三月の二日だよ。」
それを聞いて、私は黒いメリンスを巻きつけた兵児帯《へこおび》の間から蝦蟇口《がまぐち》を取り出した。その中にあった金を次郎に分け、ちょうどそこへ屋外《そと》からテニスの運動具をさげて帰って来た三郎にも分けた。
「へえ、末
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