ろこぶ色がある、あだかも長州征伐の時のようだなど言い触らすものさえある。きのうは宵《よい》の空に西郷星が出たとか、きょうは熊本との連絡も絶えて官軍の籠城《ろうじょう》もおぼつかないとか聞くたびに、ただただ彼は地方の人たちと共に心配をわかつのほかはなかった。
試みに、この戦争に参加した陸軍軍人およそ五万二百余人、屯田兵《とんでんへい》六百余、巡査隊一万千余人、軍艦十四隻、海軍兵員およそ二千百余人と想像して見るがいい。もしこれが徳川氏の末のような時代の出来事で、一切が国内かぎりの世の中であるなら、おそらくこの戦争の影響は長州征伐のたぐいではなかったであろう。これほどの出来事も過ぎ去った後になって見れば、維新途上の一小|波瀾《はらん》であったと考えるものもあるほど、押し寄せる世界の波は大きかった。戦争も終わりを告げるころには、西郷隆盛らは皆戦死し、その余波は当時政府の大立者《おおだてもの》たる大久保利通《おおくぼとしみち》の身にまで及んで行った。
この西南戦争が全国統一の機運を導いたことは、せめて不幸中の幸いであった。人民の疾苦、下のものの難渋迷惑はもとより言うまでもない。明治の歴史にも
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