まで、彼は古来の沿革をたずねることや、古書類をさがすことに自分のしたくを向けた。ある村の惣百姓《そうひゃくしょう》中から他村の衆にあてた証文とか、ある村の庄屋|組頭《くみがしら》から御奉行所に出した一札とか、あるいは四か村の五人組総代から隣村の百姓衆に与えた取り替え証文とかいうふうに。さがせばさがすほど、彼の手に入る材料は、この古い木曾山が自由林であったことを裏書きしないものはなかった。言って見れば、この地方の遠い古《いにしえ》は山にたよって樵務《きこり》を業とする杣人《そまびと》、切り畑焼き畑を開いて稗《ひえ》蕎麦《そば》等の雑穀を植える山賤《やまがつ》、あるいは馬を山林に放牧する人たちなぞが、あちこちの谷間《たにあい》に煙を立てて住む世界であったろう。追い追いと人口も繁殖する中古のころになって、犬山の石川備前守《いしかわびぜんのかみ》がこの地方の管領であった時に、谷中|村方《むらかた》の宅地と開墾地とには定見取米《じょうみとりまい》、山地には木租《ぼくそ》というものを課せられた。もとより米麦に乏しい土地だから、その定見取米も大豆や蕎麦や稗《ひえ》などで納めさせられたが、年々おびただ
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