れていた。その後の山林事件の成り行きも心にかかって、鳥居峠まで行った時、彼はあの御嶽遙拝所《おんたけようはいじょ》の立つ峠の上の高い位置から木曾谷の方を振り返って見た。松本まで彼が動いた時は、ちょうどこの時勢に応ずる教育者のための講習会が筑摩《ちくま》県主催のもとに開かれているおりからであった。松本宮村町|瑞昌寺《ずいしょうじ》、それが師範学科の講習所にあてられたところで、いずれも相応な年配の人たちが県庁の募集に応じて集まって来ていた。半蔵が自分の村の敬義学校のために一人の訓導を見つけたのも、その松本であった。早速《さっそく》彼はその人を推薦することにした。今こそ馬籠でも万福寺を仮教場にあてているが、寺の付近に普請中の仮校舎も近く落成の運びであることなぞをもその人に告げた。小倉啓助がその人の名で、もと禰宜《ねぎ》の出身であるという。至極|直《ちょく》な人物である。このよさそうな教師を村に得ただけでも、彼は安心して東京の方に向かうことができるわけだ。もともと彼は年若な時分から独学の苦心を積み、山里に生まれて良師のないのを悲しみ、未熟な自分を育てようとしたばかりでなく、同時に無知な村の子供
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