亡したものは遺族の「お叱《しか》り」ということにとどめられたが、それも特別の憐憫《れんびん》をもってと言われたのも、またその時だ。そのころの半蔵はまだ十八歳の若さで、庭のすみの梨《なし》の木のかげに隠れながらのぞき見をしていたために、父吉左衛門からしかられたことがある。そんなにたくさんなけが人を出したことも、村の歴史としてはかつて聞かなかったことだと父も言っていた。彼はあの役人たちが吟味のために村に入り込むといううわさでも伝わると、あわてて不用の材木を焼き捨てた村の人のあったことを想《おも》い起こすことができる。「昔はこの木曾山の木一本|伐《き》ると、首一つなかったものだぞ」なぞと言って、陣屋の役人から威《おど》されたのもあの時代だ。それほど暗いと言わるる過去ですら、明山《あきやま》は五木の伐採を禁じられていたにとどまる。その厳禁を犯さないかぎり、村民は意のままに山中を跋渉《ばっしょう》して、雑木を伐採したり薪炭《しんたん》の材料を集めたりすることができた。今になって見ると、御停止木の解禁はおろか、尾州藩時代に許されたほどの自由もない。家を出ればすぐ官有林のあるような村もある。寒い地方
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