《おやすみどころ》とした古い看板、あるものは青くあるものは茶色に諸|講中《こうじゅう》のしるしを染め出した下げ札、それらのものの軒にかかった新茶屋で、美濃から来たもの同志こんなことを語り合った。気まぐれな秋風は来て旧い街道を吹きぬけて行った。
中津川をさして帰って行く景蔵にもその十曲峠の上で別れて、やがて勝重は新茶屋を出た。路傍の右側に立つ芭蕉《ばしょう》の句碑の前あたりには、石に腰掛け、猿《さる》を背中からおろして休んで行く旅の渡り者なぞもある。もはや木曾路経由で東京と京都の間を往復する普通の旅客も至ってすくなかったが、中央の交通路としてはこの深い森林地帯を貫く一筋道のほかにない。勝重は中のかやから、荒町の出はずれまで歩いて行って、飯田《いいだ》通いの塩の俵をつけた荷馬の群れに追いついた。
その辺まで行くと、かなたの山腹に倚《よ》るこんもりとした杉《すぎ》の木立ちの光景が勝重の目の前にひらけて来る。万福寺はそこに隠れているのだ。本堂の屋根も杜《もり》のかげになって見ることはかなわなかったが、しかし彼は馬籠の村社|諏訪《すわ》分社のみすぼらしさに思い比べて、山腹に墳墓の地を抱《いだ》くあの古い寺が長い間の村の中心の一つであったことを容易に想像することはできた。あだかも、遠い中世の昔はまだそんなところにも残って、朝晩の鐘に響きを伝えているかのように。
馬籠峠の上は幾層かの丘より成る順登りの地勢で、美濃よりする勝重には一つの坂を越したかと思うと、また一つの坂を登らねばならないようなところだ。浅い谷がある。土橋がある。谷川も走り流れて来ている。その水を渡って、岩石の多い耕地が道の左右に見られるところへ出ると、彼は新茶屋での景蔵の話を思い出して深いため息をついた。さらに石を敷きつめた坂を登って馬籠の町はずれへ出ると、彼はこれから見舞おうとする旧い師匠が前途のことを想《おも》い見て、これにもまた深いため息をついた。
その日、勝重はかねて懇意にする伏見屋に一晩泊めてもらうつもりであったから、旧本陣をあと回しにして、まず二代目伊之助の家族を訪《たず》ねた。そこには先代の遺志をついでなにくれとなくお民らの力になる二代目夫婦があり、これまで半蔵の教えを受けて来た三郎やお末のような師匠思いの兄妹《きょうだい》があり、今となって見れば先代伊之助を先立ててよかったと言って、もし
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