勧めた。
翌日からの半蔵は一層不思議な心持ちをたどるようになった。彼は床の上に目をさまして見て、およそ何時間ぐらい眠ったということも知らなかった。夢に夢見る心地《ここち》で彼があたりを見回した時は、本家の裏二階の方に日を暮らしている継母やお槇《まき》はもとより、朝夕連れ添う妻のお民までがなんとなく遠くの方にいる人のような気がして来た。
秋の日のあたった部屋《へや》の障子には、木曾らしい蝿《はえ》の残ったのが彼の目についた。彼はその光をめがけながら飛びかう虫の群れをつくづくとながめているうちに、久しく音信《たより》もしない同門の先輩|暮田正香《くれたまさか》のことを胸に浮かべた。彼はあの正香がそう無造作にできるものが復古ではないと言った言葉なぞを思い出した。ところが世間の人はそうは思わないから、何が『古事記伝』や『古史伝』を著わした人たちの真意かもよくわからないうちに、みんな素通りだ、いくら昨日の新は今日の旧だというような、こんな潮流の急な時勢でも、これじゃ――まったく、ひどい、とあの正香の言ったことをも思い出した。本居平田の学説も知らないものは人間じゃないようなことまで言われた昨日の勢いは間違いであったのか、一切の国学者の考えたこともあやまった熱心からだとされる今日の時が本当であるのか、このはなはだしい変わり方に面とむかっては、ただただ彼なぞは目もくらむばかり。かつての神仏分離の運動が過ぎて行ったあとになって見ると、昨日まで宗教|廓清《かくせい》の急先鋒《きゅうせんぽう》と目された平田門人らも今日は頑執《がんしゅう》盲排のともがら扱いである。ことに、愚かな彼のようなものは、する事、なす事、周囲のものに誤解されるばかりでなく、ややもすると「あんな狂人《きちがい》はやッつけろ」ぐらいのことは言いかねないような、そんなあざけりの声さえ耳の底に聞きつけることがある。この周囲のものの誤解から来る敵意ほど、彼の心を悲しませるものもなかった。
「おれには敵がある。」
彼はその考えに落ちて行った。さてこそ、妻の耳に聞こえないものも彼の耳に聞こえ、妻の目に見えないものも彼の目に見えるのはそのためであった。
過ぐる年の献扇《けんせん》事件の日、大衆は実に圧倒するような勢いで彼の方へ押し寄せて来た。彼はあの東京|神田橋《かんだばし》見附跡《みつけあと》の外での多勢の混雑を今だに忘
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