》も多く持ち帰り、わずかに万福寺の開基と中興の開基との二本の位牌を残したのみで、あの先祖道斎が建立《こんりゅう》した菩提寺《ぼだいじ》も青山の家からは遠くなった。こんな事情があるにもかかわらず住持の松雲はわざわざ半蔵の隠宅まで案内の徒弟僧をよこすほどの旧《むかし》を忘れない人である。
 招かれて行く時刻が来た。半蔵は隠宅を出た。まだ日も暮れきらないうちであったが、空には一点の雲もなく、その夜の月はさぞと、小集の楽しさも思われないではない。しかし、彼の足は進まなかった。妙に心も寒かった。ためらいがちに、彼はその寺道を踏んで行った。そして、しばらくぶりで山門の外の石段を登った。数体の観音《かんのん》の石像の並ぶ小高い石垣《いしがき》の斜面に沿うて、万福寺の境内へ出た。そこにひらける本堂の前の表庭は、かつて彼の発起で、この寺に仮の教場を開いたころの記憶の残る場所である。経王石書塔の文字の刻してある石碑が立つあたり、古い銀杏《いちょう》の樹《き》のそばにある鐘つき堂の辺、いずれも最初の敬義学校の児童が遊び戯れた当時を語らないものはない。
「おゝ、お師匠さまが見えた。」
 という寺男の声を聞いて、勝手を知った半蔵は庫裡《くり》の囲炉裏ばたの方から上がった。彼は松雲が禅僧らしい服装《みなり》でわざわざその囲炉裏ばたまで出て迎えてくれるのにもあった。やがて導かれて行ったところは住持の居間である。古い壁に達磨《だるま》の画像なぞのかかった方丈である。そこにはすでに招かれて来ている二、三の先着の客もある。旧|組頭《くみがしら》笹屋庄助《ささやしょうすけ》、それから小笹屋《こざさや》勝七の跡を相続した勝之助の手合いだ。馬籠町内でもことに半蔵には気に入りの人たちだ。こんな顔ぶれを集めての催しである上に、主人の松雲は相変わらずの温顔で、客に親疎を問わず、好悪《こうお》を選ばずと言ったふうの人だ。
 まず寺にも異状はない。そのことに、半蔵はやや心を安んじた。柿《かき》、栗《くり》、葡萄《ぶどう》、枝豆《えだまめ》、里芋《さといも》なぞと共に、大いさ三寸ぐらいの大団子《おおだんご》を三方《さんぼう》に盛り、尾花《おばな》や女郎花《おみなえし》の類《たぐい》を生けて、そして一夕を共に送ろうとするこんな風雅な席に招かれながら、どうして彼は滑稽《こっけい》な、しかもまじめな心配に息をはずませ、危害で
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