所横網の屋敷を辞してから、半蔵が和助を案内して行ったのは旧両国広小路を通りぬけて左衛門橋《さえもんばし》を渡ったところだ。旧《ふる》いなじみの多吉夫婦が住む左衛門町の家だ。和助はどうして父がそんな下町風《したまちふう》の家の人たちと親しくするのか何も知らないから、一別以来の話が出たり、飛騨の山の話が出たり、郷里の方の話まで出たりするのをさも不思議そうにしていた。久しぶりの半蔵が子まで連れて訪ねて行ったことは、亭主《ていしゅ》の多吉やかみさんのお隅《すみ》をよろこばせたばかりでなく、ちょうどそこへ来合わせている多吉夫婦の娘お三輪《みわ》をも驚かした。お三輪ももううつくしい丸髷姿《まるまげすがた》のよく似合うような人だ。
「へえ。青山さんには、こんなお子さんがおありなさるの。」
 と言いながら、お三輪は膝《ひざ》を突き合わせないばかり和助の前にすわって、何かこの子をよろこばせるようなものはないかと母親に尋ね、そこへお隅が紙に載せた微塵棒《みじんぼう》を持って来ると、お三輪はそれを和助のそばに置いて、これは駄菓子《だがし》のたぐいとは言いながら、いい味の品で、両親の好物であるからと言って見せたりした。
 父と共にある時の和助が窮屈にのみ思うらしい様子は、これらの訪問で半蔵にも感じられて来るようになった。この上京には、どんなにか和助もよろこぶであろうと思いながら出て来た半蔵ではあるが、さて、足掛け四年ばかりもそばに置かない子と一緒になって見ると、和助はあまり話しもしない。父子の間にはほとほと言葉もない。ただただ父は尊敬すべきもの、畏《おそ》るべきもの、そして頑固《がんこ》なものとしか子の目には映らないかのよう。この少年には、父のような人を都会に置いて考えることすら何か耐えがたい不調和ででもあるかのようで、やはり父は木曾の山の中の方に置いて考えたいもの――あのふるさとの家の囲炉裏ばたに、祖母や、母や、あるいは下男の佐吉なぞを相手にして静かな日を送っていてほしいとは、それがこの子の注文らしい。どうやら和助は、半蔵が求めるような子でもなく、彼の首ッ玉にかじりついて来るような子でもなく、追っても追っても遠くなるばかりのような子であった。これには彼は嘆息してしまった。どれほどの頼みをかけて、彼もこの子を見に都の空まではるばると尋ねて来たことか。
 再び見る東京の雑然紛然《ごたごた》と
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