はあの塩の握飯の熱いやつを朴葉《ほおば》に包んで、よく子供にくれましたからね。」
寄ると触るとお民はそのうわさだ。
「まだお前はそんなことを言ってるのかい。」
口にこそ半蔵はそう答えたが、その実、この妻を笑えなかった。手離してやった子供はどこにでもいた。夕方にでもなると街道から遠く望まれる恵那山の裾野《すその》の方によく火が燃えて、それが狐火《きつねび》だと村のものは言ったものだが、そんな街道に蝙蝠《こうもり》なぞの飛び回る空の下にも子供がいた。家の裏の木小屋の前から稲荷《いなり》の祠《ほこら》のある方へ通うところには古い池があって、石垣《いしがき》の間には雪の下が毎年のように可憐《かれん》な花をつけるところだが、そんなおとなでもちょっと背の立たないほど深いよどんだ水をたたえた池のほとりにも子供がいた。そればかりではない、子供は彼の部屋《へや》の座蒲団《ざぶとん》の上にもいたし、彼の懐《ふところ》の中にもいた。彼の袂《たもと》の中にもいた。
「この野郎、この野郎。」
と彼が言いかけて、いくら教えても本のきらいな森夫の耳のあたりへ、握りこぶしの一つもくらわせようとすると、いつのまにか本をかかえて逃げ出すような子供は彼の目の前にいた。
「オイ、蝋燭《ろうそく》、蝋燭。」
と彼が注意でもしてやらなければ、たまに夜おそくまで紙をひろげ、燭台《しょくだい》を和助に持たせ、その灯《ほ》かげに和歌の一つも大きく書いて見ようとすると、蝋燭もろともそこへころげかかるほど眠がっているような子供は彼のすぐそばにもいた。
山のものとも海のものともまだわからないような兄弟の子供の前途にも半蔵は多くの望みをかけた。彼は読み書きの好きな和助のために座右の銘ともなるべき格言を選び、心をこめた数|葉《よう》の短冊《たんざく》を書き、それを紙に包んで初旅の餞《はなむけ》ともした。
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やよ和助読み書き数へいそしみて心静かに物学びせよ
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飛騨にいるころから半蔵はすでにこんな歌を作って子を思うこころを寄せていた。
宗太は弟たちの旅の話を持って無事に東京から帰って来た。一行四人のものが、みさやま峠にかかった時は、さすが山歩きに慣れた子供の足も進みかねたと見え、峠で日が暮れかかったこともあったという。余儀なく彼は和助の帯に手ぬぐいを結びつけ、それで
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