た恩顧は忘れられないと言って、和尚は和尚だけの回向《えこう》をささげに禅家風な茶色の袈裟《けさ》がけなどで来ているところは、いかにもその人らしい。当日の主人側には、長いこと隣家旧本陣に働いた清助が今は造り酒屋の番頭として、羽織袴《はおりはかま》の改まった顔つきで、二代目を助けながらあちこちの客を取り持っているのも人々の目をひいた。やがて質素な式がはじまり、神酒《みき》、白米、野菜などが型のように故人の霊前に供えられると、禰宜の鳴らす柏手《かしわで》の音は何がなしに半蔵の心をそそった。そこに読まれる千里の祭詞に耳を傾けるうちに、半生を通じてのよい道づれを失った思いが先に立って、その衆人の集まっている中で彼は周囲《あたり》かまわず男泣きに泣いた。

       五

 休息。休息。帰国後の半蔵が願いは何よりもまずその休息よりほかになかった。飛騨生活の形見として残った烏帽子《えぼし》[#「烏帽子」は底本では「鳥帽子」]を片づけたり無紋で袖の括《くく》ってある直衣《のうし》なぞを手に取って打ちかえしながめたりするお民と一緒になって見ると、長く別れていたあとの尽きない寝物語はよけいに彼のからだから疲れを引き出すようなものであった。彼は久しぶりに訪《たず》ねたいと思う人も多く、無沙汰《ぶさた》になった家々をもおとずれたく、日ごろ彼の家に出入りする百姓らの住居《すまい》をも見て回りたく、自ら創《はじ》めて立てた敬義学校の後身なる神坂《みさか》村小学校のことも心にかかって、現訓導の職にある小倉啓助の仕事をも助けたいとは思っていたが、一切をあと回しにしてまず休むことにした。万福寺境内に眠っている先祖道斎をはじめ先代吉左衛門の墓、それから伏見屋の金兵衛と伊之助とが新旧の墓なぞの並ぶ墓地の方で感慨の多い時でも送って帰って来ると、彼は自分の部屋の畳の上に倒れて死んだようになっていることもあった。
 店座敷の障子のそばに置いてある彼の桐《きり》の机もふるくなった。その部屋は表庭つづきの前栽《せんざい》を前に、押入れ、床の間のついた六畳ほどの広さで、障子の外に見える古い松の枝が塀越《へいご》しに高く街道の方へ延びているのは、それも旧本陣としての特色の一つである。寛《くつろ》ぎの間《ま》を宗太若夫婦に譲ってからは、彼はその部屋に退くともなく退いた形で、客でもあればそこへ通し、夜は末の和助だけを
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