はまだ古《いにしえ》をあらわす道が残っていると考え、それを天の命とも考えて行った彼ではあるが、どうして彼は自ら思うことの十が一をも果たせなかった。維新以来、一切のものの建て直しとはまだまだ名ばかり、朝に晩に彼のたたずみながめた神社の回廊の前には石燈籠《いしどうろう》の立つ斎庭《ゆにわ》がひらけ、よく行った神門のそばには冬青《そよぎ》の赤い実をたれたのが目についたが、薄暗い過去はまだそんなところにも残って、彼の目の前に息づいているように見えた。
 四年あまりの旅の末には教部省の方針も移り変わって行った。おそらく祭政一致の行なわれがたいことを知った政府は、諸外国の例なぞに鑑《かんが》みて、政教分離の方針を執るに至ったのであろう。この現状に平らかでない神官は任意辞職を申しいでよとあって、全国大半の諸神官が一大交代も行なわれた。元来高山中教地は筑摩《ちくま》県の管轄区域であったが、たまたまそれが岐阜《ぎふ》県の管轄に改められる時を迎えて見ると、多くの神官は世襲で土着する僧侶とも違い、その境涯《きょうがい》に安穏な日も送れなかった。高山町にある神道事務支局から支給せらるる水無神社神官らが月給の割り当ても心細いものになって行った。半蔵としては、本教を振るい興したいにも資力が足らず、宮司の重任をこうむりながらも事があがらない。しまいには、名のつけようのない寂寞《せきばく》が彼の腰や肩に上るばかりでなく、彼の全身に上って来た。
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きのふけふしぐれの雨ともみぢ葉とあらそひふれる山もとの里
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 こんな歌が宮村の仮寓《かぐう》でできたのも前年の冬のことであり、同じ年の夏には次ぎのようなものもできた。
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おのがうたに憂《う》さやなぐさむさみだれの雨の日ぐらし早苗《さなえ》とるなり
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 梅雨期の農夫を憐《あわれ》む心は、やがて彼自ら憐む心であった。平田篤胤没後の門人として、どこまでも国学者諸先輩を見失うまいとの願いから、彼も細い一筋道をたどって、日ごろの願いとする神の住居《すまい》にまで到《いた》り着いたが、あの木曾の名所図絵にもある園原の里の「帚木《ははきぎ》」のように、彼の求めるものは追っても追っても遠くなるばかり。半生の間、たまりにたまっていたような涙が飛騨の山奥の旅に行って彼のかたくなな胸の底
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