は伊之助のさしずで、峠村の平兵衛に金子を持たせ、東京まで半蔵を迎えによこすとの通知もあった。今は彼も心ぜわしい。再び東京を見うるの日は、どんなにこの都も変わっているだろう。そんなことを思いうかべながら、あちこちの暇乞《いとまご》いにも出歩いた。旧|組頭《くみがしら》廃止後も峠のお頭《かしら》で通る平兵衛は二月にはいって、寒い乾《かわ》き切った日の夕方に左衛門町の宿へ着いた。
 半蔵と平兵衛とは旧宿場時代以来、ほとんど主従にもひとしい関係にあった。どんなに時と場所とを変えても、この男が半蔵を「本陣の旦那《だんな》」と考えることには変わりはなかった。慶応四年の五月から六月へかけて、伊勢路《いせじ》より京都への長道中を半蔵と共にしたその同じ思い出につながれているのも、この男である。平兵衛は伊之助から預かって来た金子ばかりでなく、半蔵が留守宅からの言伝《ことづて》、その後の山林事件の成り行き、半蔵の推薦にかかる訓導小倉啓助の評判など、いろいろな村の話を彼のところへ持って来た。東京から伝わる半蔵のうわさ――ことに例の神田橋外での出来事から入檻を申し付けられたとのうわさの村に伝わった時は、意外な思いに打たれないものはなかった。中にも半蔵のために最も心を痛めたものは伏見屋の主人であったという話をも持って来た。
 平兵衛は言った。
「そりゃ、お前さま、何もわけを知らないものが聞いたら、たまげるわなし。」
「……」
「ほんとに、人のうわさにろくなことはあらすか。半蔵さまが気が違ったという評判よなし。お民さまなぞはそれを聞いた時は泣き出さっせる。皆のものが言うには、本陣の旦那はあんまり学問に凝らっせるで、まんざら世間の評判もうそではなからず、なんて――村じゃ、そのうわささ。そんなばかなことがあるもんかッて、お前さまの肩を持つものは、伏見屋の旦那ぐらいのものだった。まあ、おれも、今度出て来て見て、これで安心した。」
「……」


 飛騨を知らない半蔵が音に聞く嶮岨《けんそ》な加子母峠《かしもとうげ》の雪を想像し、美濃と飛騨との国境《くにざかい》の方にある深い山間の寂寞《せきばく》を想像して、冬期には行く人もないかと思ったほど途中の激寒を恐れたことは、平兵衛の上京でやや薄らぎもした。というのは、飛騨高山地方から美濃の中津川まで用|達《た》しに出て来た人があったとかで、伊之助は中津川でその人
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