こうとは、彼には考えられもしなかった。
四
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裁断申し渡し番付の写し
[#地から8字上げ]信濃国《しなののくに》筑摩《ちくま》郡|神坂《みさか》村平民
[#地から8字上げ]当時|水無《みなし》神社宮司兼中講義
[#地から3字上げ]青山半蔵
その方儀、憂国の過慮より、自作の和歌一首録し置きたる扇面を行幸の途上において叡覧《えいらん》に備わらんことを欲し、みだりに供奉《ぐぶ》の乗車と誤認し、投進せしに、御《ぎょ》の車駕《しゃが》に触る。右は衝突|儀仗《ぎじょう》の条をもって論じ、情を酌量《しゃくりょう》して五等を減じ、懲役五十日のところ、過誤につき贖罪金《しょくざいきん》三円七十五銭申し付くる。
明治八年一月十三日
[#地から4字上げ]東京裁判所
[#ここで字下げ終わり]
ここに半蔵の本籍地を神坂村とあるは、彼の郷里馬籠と隣村湯舟沢とを合わせて一か村とした新しい名称をさす。言いかえれば、筑摩県管下、筑摩郡、神坂村、字馬籠である。最も古い交通路として知られた木曾の御坂《みさか》は今では恵那山につづく深い山間《やまあい》の方に埋《うず》もれているが、それに因《ちな》んでこの神坂村の名がある。郡県政治のあらわれの一つとして、宿村の併合が彼の郷里にも行なわれていたのである。
待ちに待った日はようやく半蔵のところへ来た。この申し渡しの書付にあるように、いよいよ裁判も決定した。夕方から、彼は多吉夫婦と共に左衛門町の下座敷に集まった。思わず出るため息と共に、自由な身となったことを語り合おうとするためであった。そこへ多吉を訪《たず》ねて門口からはいって来た客がある。多吉には川越《かわごえ》時代からの旧《ふる》いなじみにあたる青物問屋の大将だ。多吉が俳諧《はいかい》友だちだ。こちらは一段落ついた半蔵の事件で、宿のものまで一同重荷をおろしたような心持ちでいるところであったから、偶然にもその客がはいって来た時、玄関まで出迎える亭主を見るといきなり向こうから声をかけたが、まるでその声がわざわざ見舞いにでも来てくれたように多吉の耳には響いた。
「まずまあ、多吉さん。」
これは半蔵にも、時にとってのよい見舞いの言葉であった。ところが、この「まずまあ」は、実は客の口癖で、お隅は日ごろの心やすだてからそれをその人のあだ名にして、下女までそう呼び慣れ
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