に与えた宗門権の破棄と神葬復礼との方向に突き進むものがあって、過去数百年にわたる武家と僧侶との二つの大きな勢力を覆《くつがえ》すことに力を尽くしたというのも、みなその単純な、しかし偽りも飾りもない心から出たことであった。ことに神仏分離の運動を起こして、この国の根本と枝葉との関係を明らかにしたのは、国学者の力によることが多いのであり、宗教|廓清《かくせい》の一新時代はそこから開けて来た。暗い寺院に肉食妻帯の厳禁を廃し、多くの僧尼の生活から人間を解き放ったというのも、虚偽を捨てて自然《おのずから》に帰れとの教えから出たことである。すくなくもこの国学者の運動はまことの仏教徒を刺激し、その覚醒《かくせい》と奮起とを促すようになった。いかんせん、多勢寄ってたかってすることは勢いを生む。しまいには、地方官の中にすら廃仏の急先鋒《きゅうせんぽう》となったものがあり、従来の社人、復飾の僧侶から、一般の人民まで、それこそ猫《ねこ》も杓子《しゃくし》もというふうにこの勢いを押し進めてしまった。廃寺は毀《こぼ》たれ、垣《かき》は破られ、墳墓は移され、残った礎《いしずえ》や欠けた塊《つちくれ》が人をしてさながら古戦場を過ぐるの思いを抱《いだ》かしめた時は、やがて国学者諸先輩の真意も見失われて行った時であった。言って見れば、国学全盛の時代を招いたのは廃仏運動のためであった。しかも、廃仏が国学の全部と考えられるようになって、かえって国学は衰えた。
 いかに平田門人としての半蔵なぞがやきもきしても、この頽勢《たいせい》をどうすることもできない。大きな自然《おのずから》の懐《ふところ》の中にあるもので、盛りがあって衰えのないものはないように、一代の学問もまたこの例にはもれないのか。その考えが彼を悲しませた。彼には心にかかるかずかずのことがあって、このまま都を立ち去るには忍びなかった。


 まだ半蔵の飛騨行きは確定したわけではない。彼は東京にある知人の誰彼《たれかれ》が意見をもそれとなく聞いて見るために町を出歩いた。何も飛騨の山まで行かなくとも他に働く道はあろうと言って彼を引き止めようとしてくれる人もない。今はそんな時ではないぞと言ってくれるような人はなおさらない。久しく訪《たず》ねない鉄胤老先生の隠栖《いんせい》へも、御無沙汰《ごぶさた》のおわびをかねてその相談に訪ねて行って見ると、師には引き止
前へ 次へ
全245ページ中94ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング