つけないでもなかった。
「お父《とっ》さん、おねがいですから、わたしもお供させて。」
 そのこころは、父の行く寂しい奥山の方へ娘の足でもついて行かれないことはあるまいというにあるらしい。
 これには半蔵も返事にこまった。いろいろにお粂《くめ》を言いなだめた。娘も妙なことを言うと彼は思ったが、あれもこれもと昼夜心を砕いた山林の問題が胸に繰り返されていて、お粂の方で言い出したことはあまり気にも留めなかった。

       三

 お民は妻籠《つまご》の生家《さと》の話を持って、和助やお徳を連れながらそこへ帰って来た。
「お民、寿平次さんはなんと言っていたい。」
「木曾山のことですか。兄さんはなんですとさ、支庁のお役人がかわりでもしないうちはまずだめですとさ。」
「へえ、寿平次さんはそんなことを言っていたかい。」
 半蔵夫婦はこんな言葉をかわしたぎり、ゆっくり話し合う時も持たない。妻籠|土産《みやげ》の風呂敷包《ふろしきづつ》みが解かれ、これは宗太に、これは森夫にと、留守居していた子供たちをよろこばせるような物が取り出されると、一時家じゅうのものは妻籠の方のうわさで持ち切る。妻籠のおばあさんからお粂にと言って、お民は紙に包んだ美しい染め糸なぞを娘の前にも取り出す。お徳の背中からおろされた四男の和助はその皆の間をはい回った。
 半蔵はすでに村の髪結い直次を呼び寄せ、伸びた髭《ひげ》まで剃《そ》らせて妻を待ち受けているところであった。鈴《すず》の屋《や》の翁《おきな》以来、ゆかりの色の古代紫は平田派の国学者の間にもてはやされ、先師の著書もすべてその色の糸で綴《と》じられてあるくらいだが、彼半蔵もまたその色を愛して、直次の梳《す》いてくれたのを総髪《そうがみ》にゆわせ、好きな色の紐《ひも》を後ろの方に結びさげていた。吉左衛門の時代から出入りする直次は下女のお徳の父親に当たる。
「お民、おれは王滝の方へ出かけるんだぜ。」
 それをみんなまで言わせないうちに、お民は夫の様子をみて取った。妻籠の兄を見て来た目で、まったく気質のちがった夫の顔をながめるのも彼女だ。その時、半蔵は店座敷の方へ行きかけて、
「おれは、いつでも出かけられるばかりにして、お前の帰りを待っていたところさ。お前の留守に、お母《っか》さんの枕屏風《まくらびょうぶ》もできた。」
 そういう彼とても、娘の縁談のことでわ
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