みずしい髪の髻《もとどり》を古代紫の緒《ひも》で茶筅風《ちゃせんふう》に結び、その先を前額の方になでつけたところは、これが六十一歳の翁かと思われるほどの人がその画像の中にいた。翁は自意匠よりなる服を造り、紗綾形《さやがた》の地紋のある黒縮緬《くろちりめん》でそれを製し、鈴屋衣《すずのやごろも》ととなえて歌会あるいは講書の席上などの式服に着用した人であるが、その袖口《そでぐち》には紫縮緬の裏を付けて、それがまたおかしくなかったと言わるるほどの若々しさだ。早く老《ふ》けやすいこの国の人たちの中にあって、どうしてそれほどの若さを持ち続け得たろうかと疑われるばかり。こんな人が誤解されやすいとしたら、それこそ翁の短所からでなくて、むしろ晩年に至るまでも衰えず若葉してやまなかったような、その長い春にこもる翁の長所からであったろうと彼には思われる。彼の心に描く本居宣長とは、あの先師平田篤胤に想像するような凜々《りり》しい容貌《ようぼう》の人ともちがって、多分に女性的なところを持っていた心深い感じのする大先輩であった。そして、いかにもゆったりとその生涯《しょうがい》を発展させ、天明《てんめい》の昔を歩いて行った近《ちか》つ代《よ》の人の中でも、最も高く見、最も遠く見たものの一人《ひとり》であった。そのかわり、先師篤胤は万事明け放しで、丸裸になって物を言った。そこが多くの平田門人らにとって親しみやすくもあったところだ。本居翁にはそれはない。寛《ひろ》いふところに、ありあまるほどの情意を包みながら、言説以外にはそれも打ち出さずに、終生つつましく暮らして行かれたようなその人柄は、内弟子にすら近づきがたく思われたふしもあったであろう。ともあれ、日ごろ彼なぞが力と頼む本居翁も口さがない人たちにかかっては、滑稽《こっけい》な戯画の中の人物と化した。先輩を活神様にして祭り上げる人たちは、また道化役者《どうけやくしゃ》にして笑いたがる人たちである。そんな態度が頼みがいなく思われる上に、又聞《またぎ》きにしたくらいの人の秘密をおもしろ半分に振り回し、下世話《げせわ》にいう肘鉄《ひじてつ》を食わせたはしたない女の話なぞに興がって、さも活神様の裏面に隠れた陰性な放蕩《ほうとう》をそこへさらけ出したという顔つきでいるそういう同僚を彼は片腹痛く思った。きく人もまたすこぶる満足したもののごとく、それを笑い楽し
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