はいっぱいに書物をねじ込みながら橋を渡って行く人は、一日の勤めを終わった役所帰りの半蔵である。
その日かぎり、半蔵は再び役所の門を潜《くぐ》るまい、そこに集まる同僚の人たちをも見まいと思うほどのいらいらした心持ちで、鎌倉河岸《かまくらがし》のところに黄ばみ落ちている柳の葉を踏みながら、大股《おおまた》に歩いて行った。もともと今度の上京を思い立って国を出た時から、都会での流浪《るろう》生活を覚悟して来た彼である。半年の奉職はまことに短かったとは言え、とにもかくにも彼は神祇局の後身ともいうべき教部省に身を置いて見て、平田一派の諸先輩がそこに残した仕事のあとを見ただけにも満足しようとした。例の浅草|左衛門町《さえもんちょう》にある多吉の家をさして帰って行くと、上京以来のことが彼の胸に浮かんで来た。ふと、ある町の角《かど》で、彼は足をとめて、ホッと深いため息をついた。その路《みち》は半年ばかり彼が役所へ往復した路である。柄《がら》にもない教部省御雇いとしての位置なぞについたのは、そもそも自分のあやまりであったか、そんな考えがしきりに彼の胸を往《い》ったり来たりした。
「これはおれの来《く》べき路ではなかったのかしらん。」
そう考えて、また彼は歩き出した。
仮の寓居《ぐうきょ》と定めている多吉の家に近づけば近づくほど、名のつけようのない寂しさが彼の胸にわいた。彼は泣いていいか笑っていいかわからないような心持ちで、教部省の門を出て来たのである。
左衛門橋に近い多吉夫婦が家に戻《もど》って二階の部屋《へや》に袴をぬいでからも、まだ半蔵はあの常磐橋内の方に身を置くような気がしている。役所がひける前の室内の光景はまだ彼の目にある。そこには担当する課事を終わって、机の上を片づけるものがある。風呂敷包《ふろしきづつ》みを小脇《こわき》にかかえながら雑談にふけるものもある。そのそばには手で頤《おとがい》をささえて同僚の話に耳を傾けるのもある。さかんな笑い声も起こっている。日ごろ半蔵が尊信する本居宣長《もとおりのりなが》翁のことについて、又聴《またぎ》きにした話を語り出した一人《ひとり》の同僚がそこにある。それは本居翁の弟子《でし》斎藤彦麿《さいとうひこまろ》の日記の中に見いだされたことだというのである。ある日、彦麿はじめ二、三の内弟子が翁の家に集まって、「先生は実に活神様《いき
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