東京まで半蔵が動いて見ると、昔|気質《かたぎ》の多吉の家ではまだ行燈《あんどん》だが、近所ではすでにランプを使っているところがある。夕方になると、その明るい光が町へもれる。あそこでも、ここでもというふうに。燈火《ともしび》すらこんなに変わりつつあった。
今さら、極東への道をあけるために進んで来た黒船の力が神戸《こうべ》大坂の開港開市を促した慶応三、四年度のことを引き合いに出すまでもなく、また、日本紀元二千五百余年来、未曾有《みぞう》の珍事であるとされたあの外国公使らが京都参内当時のことを引き合いに出すまでもなく、世界に向かってこの国を開いた影響はいよいよ日本人各自の生活にまであらわれて来るようになった。ことに、東京のようなところがそうだ。半蔵はそれを都会の人たちの風俗の好みにも、衣裳《いしょう》の色の移り変わりにもみて取ることができた。うす暗い行燈や蝋燭《ろうそく》をつけて夜を送る世界には、それによく映る衣裳の色もあるのに、その行燈や蝋燭にかわる明るいランプの時が来て見ると、今までうす暗いところで美しく見えたものも、もはや見られない。多吉の女房お隅はそういうことによく気のつく女で、近ごろの婦人が夜の席に着る衣裳の色の変わって来たことなぞを半蔵に言って見せ、世の中の流行が変わる前に、すでに燈火が変わって来ていると言って見せる。
多吉夫婦は久しぶりで上京した半蔵をつかまえて、いろいろと東京の話をして聞かせるが、寄席《よせ》の芸人が口に上る都々逸《どどいつ》の類《たぐい》まで、英語まじりのものが流行して来たと言って半蔵を笑わせた。お隅は、一鵬斎芳藤《いちほうさいよしふじ》画《えが》くとした浮世絵なぞをそこへ取り出して来る。舶来と和物との道具くらべがそれぞれの人物になぞらえて、時代の相《すがた》を描き出してある。その時になって見ると、遠い昔に漢土の文物を採り入れようとした初めのころのこの国の社会もこんなであったろうかと疑わるるばかり。海を渡って来るものは皆文明開化と言われて、散切《ざんぎ》り頭をたたいて見ただけでも開化した音がすると唄《うた》われるほどの世の中に変わって来た。夏は素裸、褌《ふんどし》一つ、冬はどてら一枚で、客があると、どんな寒中でも丸裸になって、ホイ籠《かご》ホイ籠とかけ出す駕籠屋《かごや》なぞはもはや顔色がない。年じゅう素股《すまた》の魚屋から、
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