ょうじん》の横手にさしかかった時、まず彼の聞きつけたのもその子供らの声であった。町々へは祭りの季節が来ているころに、彼も東京にはいったのだ。
 時節がら、人気を引き立てようとする市民が意気込みのあらわれか、町の空に響く太鼓、軒並みに連なり続く祭礼の提灯《ちょうちん》なぞは思いのほかのにぎわいであった。時には肩に掛けた襷《たすき》の鈴を鳴らし、黄色い団扇《うちわ》を額のところに差して、後ろ鉢巻《はちまき》姿で俵天王《たわらてんのう》を押して行く子供の群れが彼の行く手をさえぎった。時には鼻の先の金色に光る獅子《しし》の後ろへ同じそろいの衣裳《いしょう》を着けた人たちが幾十人となくしたがって、手に手に扇を動かしながら町を通り過ぎる列が彼の行く手を埋《うず》めた。彼は右を見、左を見して、新規にかかった石造りの目鏡橋《めがねばし》を渡った。筋違見附《すじかいみつけ》ももうない。その辺は広小路《ひろこうじ》に変わって、柳原《やなぎわら》の土手につづく青々とした柳の色が往時を語り顔に彼の目に映った。この彼が落ち着く先は例の両国の十一屋でもなかった。両国広小路は変わらずにあっても、十一屋はなかった。そこでは彼の懇意にした隠居も亡《な》くなったあとで、年のちがったかみさんは旅人宿を畳《たた》み、浅草《あさくさ》の方に甲子飯《きのえねめし》の小料理屋を出しているとのことである。足のついでに、かねて世話になった多吉夫婦の住む本所相生町《ほんじょあいおいちょう》の家まで訪《たず》ねて行って見た。そこの家族はまた、浅草|左衛門町《さえもんちょう》の方へ引き移っている。そうこうするうちに日暮れに近かったので、浪花講《なにわこう》の看板を出した旅人宿を両国に見つけ、ひとまず彼はそこに草鞋《わらじ》の紐《ひも》を解いた。
 東京はまず無事。その考えに半蔵はやや心を安んじて、翌日はとりあえず、京都以来の平田|鉄胤《かねたね》老先生をその隠棲《いんせい》に訪《たず》ねた。彼が亡《な》き延胤《のぶたね》若先生の弔《くや》みを言い入れると、師もひどく力を落としていた。その日は尾州藩出身の田中|不二麿《ふじまろ》を文部省に訪ねることなぞの用事を済まし、上京三日目の午後にようやく彼は多吉夫婦が新しい住居《すまい》を左衛門橋の近くに見つけることができた。
 多吉、かみさんのお隅《すみ》、共に半蔵には久しぶりにあ
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