政府の人たちだからであった。太政官《だじょうかん》では従来の秘密主義を捨てて、三国の使節が大坂出発の日取りまで発表し、かく上京参内を仰せ付けられたのも深き思《おぼ》し召しのあることだから、いささかも不作法な所業のないように、町役を勤めるものはもちろん、一家一家においても召使いの者までとくと申し聞けよ、もし心得違いのことがあって国難を引き出したら相済まない次第であるぞ、と触れ出した。
時はあだかも江戸開板の新聞紙が初めて印行されるというころに当たる。東征|先鋒《せんぽう》兼|鎮撫《ちんぶ》総督らの進出する模様は、先年横浜に発行されたタイムス、またはヘラルドの英字新聞を通しても外人の間には報道されていた。大政官日誌以外に、京大坂にはまだ新聞紙の発行を見ない。それでも会津《あいづ》、松山、高松、大多喜《おおたき》等の諸大名は皆京都に敵対するものとして、その屋敷をも領地をも召し上げらるべきよしの報道なぞはしきりに伝わって来た。新政府が東征軍進発のために立てた予算は当局者以外にだれも知るよしもなかったが、大坂の町人で御用金の命に応じたり、あるいは奮って国恩のために上納金を願い出たりしたもののうわさは、金銭のことにくわしい市民の口に上らずにはいなかったころである。
公使ロセスは書記官カションを同伴して、安治川《あじがわ》の川岸から艀《はしけ》に乗るところへ出た。仏国船将ピレックス、およびトワアルの両人もフランス兵をしたがえて京都まで同行するはずであった。そこへオランダ代理公使ブロックと同国書記官クラインケエスも落ち合って見ると、公使一行の主《おも》なものは都合六人となった。岸からすこし離れたところには二|艘《そう》の小蒸汽船が待っていて、一艘には公使一行と、護衛のために同伴する日本人の官吏およびフランス兵を乗せ、他の一艘には薩州の護衛兵を乗せた。その日は伏見泊まりの予定で、水陸両道から淀川《よどがわ》をさかのぼる手はずになっていた。陸を行く護衛の一隊なぞはすでに伏見街道をさして出発したという騒ぎだ。異国人の参内と聞いて、一行の旅装を見ようとする男や女はその川岸にも群がり集まって来ている。京都の方へは中井|弘蔵《こうぞう》が数日前に先発し、小松|帯刀《たてわき》、伊藤|俊介《しゅんすけ》らは英国公使と同道で大坂を立って行った。ロセスらの一行が途中の無事を祈り顔な東久世通禧《ひがしくぜみちとみ》の名代もその艀《はしけ》まで見送りに来た。
小蒸汽船が動き出してからも、不慮の出来事を警戒するような監視者の目は一刻も毛色の変わった人たちから離れない。いたるところに青みがかった岸の柳も旅するものの目をよろこばすころで、一大三角州をなした淀川の川口にはもはや春がめぐって来ていた。でも、うっかりロセスなぞは肩に掛けていた双眼鏡を取り出せなかったくらいだ。
「こんなにしてくれなくてもいい。どうして外国人はこんな監視を受けなければならないのか。」
オランダの代理公使はひどくうるさがって、それを通訳の書記官に言わせると、付き添いの日本の官吏は首を振った。
「諸君を保護するのであります。」
との答えだ。
旅の掟《おきて》もやかましい。一行が京都へ着いた際の心得まで個条書になって細かく規定されている。その規定によると、滞在中は洛《らく》の中外を随意に徘徊《はいかい》することは許される、諸商い物を買い求めたり小屋物等を見物したりすることも許される、しかし茶屋酒楼等へひそかに越すことは許されない。夜分の外出は差し留められる事、宮方《みやかた》へ行き合う節は路傍に控えおるべき事、堂上あるいは諸侯へ行き合う節は双方道の半ばを譲って通行すべき事の類《たぐい》だ。それには但《ただ》し書《が》きまで付いていて、宮方へ行き合う節は御供頭《おともがしら》へその旨《むね》を通じ、公使から相当の礼式があれば御会釈《ごえしゃく》もあるはずだというようなことまで規定されている。
この個条書を正確に読みうるものは、一行のうちでカションのほかにない。カションはそれを公使ロセスにもオランダ代理公使ブロックにも訳して聞かせた。その船の船室には赤い毛氈《もうせん》を敷き、粗末な椅子《いす》を並べて、茶なぞのもてなしもあったが、カションはひとりながめを自由にするために、大坂を離れるころから船室を出て、舷《ふなばた》に近い廊下の方へ行った。そこここには護衛顔なフランス兵も陣取っている。カションはその狭い廊下の一隅《いちぐう》にいて煙草《たばこ》を取り出そうとすると、近づいて来て彼に挨拶《あいさつ》し、いろいろと異国のことを質問する日本の官吏もあった。
そういうカションはフランス人ながらに、俗にいう袂落《たもとおと》しの煙草入れを洋服の内側のかくしに潜ませているほどの日本通だった。そば
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