畠《くわばたけ》になって、ところどころに植えてある桐《きり》の若木も目につく。
お民は思い出したように、
「あれはいつでしたか、うちで炬燵《こたつ》の上に手を置いて、『お民、今に本陣も、脇《わき》本陣もなくなるよ』ッて、そんな話を家のものにして聞かせたことがありましたっけ。あの時はわたしはうそのような気がしていましたよ。お父《とっ》さん(吉左衛門)の百か日が来た時にも、まさかうちで本気にそんなことを言ってるとは思いませんでした。ところが、兄さん、ちょうどあのお父さんが亡《な》くなって一年目に、うちでも母屋だけ残して、新屋の方は取り払いでしょう。主《おも》な柱なぞは綱をつけて、鯱巻《しゃちま》きにして引き倒しましたよ。恐ろしい音がして倒れて行きましたっけ。あの大きな鋸《のこぎり》や斧《おの》で柱を伐《き》る音は、今だにわたしの耳についています。」
その晩、お民は和助を早く寝かしつけて置いて、寿平次のいる寛《くつろ》ぎの間《ま》におばあさんやお里とも集まった。娘お粂の縁談について、折り入ってその相談に来たことを兄夫婦らの前に持ち出した。
妻籠でもうすうす聞いてくれたことであろうがと前置きをして、その時お民が語り出したことは、こうだ。もともとお粂には幼い時分から親の取りきめて置いた許嫁《いいなずけ》があった。本陣はじめ、問屋、庄屋、年寄の諸役がしきりに廃止される時勢は年若な娘の身の上をも変えてしまった。というのは、これまでどおりの家と家との交際もおぼつかない時勢になって来ては、早い許嫁の約束もひとまずあきらめたいと言って、先方の親から破談を申し込んで来たからであった。あのお粂が自分はもうどこへも嫁《かたづ》きたくないと言い出したのは、その時からである。けれども、女は嫁《とつ》ぐべきもの、とは半蔵が継母おまんの強い意見で、年ごろの娘がいつまで父に仕えられるものでもないし、好きな読み書きの道なぞにいそしみ通せるものではなおさらないと言って、いろいろに娘を言いすかし、伊那《いな》の南殿村への縁談を取りまとめたのであった。
この縁談には、おまんも間にはいってすくなからず骨を折った。お民に言わせると、稲葉の家はおまんが生家方《さとかた》のことでもあり、最初からおまんは乗り気で、この話がまとまった時にも生家へあてて長い手紙を送り、まずまず縁談もととのって、自分としてもこん
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