させ、自分のよい跡目相続としたい。そんな話が寿平次の口から出て来た。
妻籠にはまだ散切頭《ざんぎりあたま》も流行《はや》って来ない。多くのものの目にはその新しい風俗も異様に映る。その中で、今度お民が来て見た時は兄はすでにさっぱりとした散髪《さんぱつ》になっていた。
「どうだ、お民。おれに似合うか。」
と寿平次の言い草だ。
「半蔵さんもどうしているかい。」とまた寿平次がきく。
「兄さん、うちのいそがしさと来たら、見せたいよう。髭《ひげ》もろくに剃《そ》らずに飛び歩いていますよ。わたしが何をきいても、山林事件のためだとばかりで、くわしいことも話しません。」
「今度という今度は半蔵さんも全力をあげているらしい。おれも相談にはあずかってるし、大賛成じゃあるが、せめてこれが土屋総蔵の時代だとねえ。」
「そのことは、兄さん、うちでも言ってるようですよ。」
「そりゃ、名古屋県がこの木曾に出張所を置いて直接民政をやったころは、なんでも親切に、人民をよく教え導くという調子さ。あの土屋総蔵なぞは赴任して来ると、すぐ六人の官吏を連れて開墾その他の見分《けんぶん》にやって来たからね。あの時の見分は、贄川《にえがわ》から妻籠、馬籠まで。おれはあの権判事を地境《じざかい》へ案内した時のことを忘れない。木曾はこんな産馬地《うまどこ》だから、各村とも当歳の駒《こま》を取り調べて、親馬から、毛色、持ち主の名前まで書き出せというやり方だ。それからあの見分を済ましたあとで、村々へ回状を送ってよこしたが、その回状がまた振るってる。あれほど休泊の手当てに及ばないししたくも有り合わせでいいと言ってあるのに、うんとごちそうしてくれた村々がある。とかく官吏が旅行の際には不正な事も行なわれがちだから、今後ごちそうは無用だと書いてよこした。あれは明治三年の九月だ。そうだ、政府からは駅逓司《えきていし》の菊池大令史がこの地方へ出張して来たころだ。なんと言っても、土屋総蔵の時代はよかったよ。そのあとへ筑摩県の権判事として来た人が、今度は大いに暴威を振るおうとするんだから、まるで善悪の対照を見せつけられるようなものさね。こんな乱暴なやり口じゃ、今に地租の改正が始まっても、思いやられるナ。そりゃ、お民、あれほど半蔵さんが山林事件に身を入れて、いくらこの地方のために奔走しても、今の筑摩県の権判事がかわりでもしないうちはまず
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