の道を歩いて、午後に妻籠《つまご》の生家《さと》に着いた。
二
お民はある相談をもって妻籠のおばあさんや兄寿平次を見に来た。その相談は、娘お粂《くめ》の縁談に関する件で、かねて伊那の南殿村、稲葉《いなば》という家は半蔵が継母おまんの生家《さと》に当たるところから、おまんの世話で、その方にお粂の縁談がととのい、前年の冬には南殿村から結納《ゆいのう》の品々を送って来て、その年の二月の声を聞くころはすでに結婚の日取りを申し合わせるまでに運んだのであった。今度のお民の妻籠訪問はその報告というばかりでなく、兄夫婦の耳にも入れて相談したいと思って来たことがあるからで。
お民ももう五人の子の母である。兄の家にもらわれて来ている次男の正己《まさみ》と、三男の森夫との間には、二人《ふたり》まで女の子を失ったが、それらの早世した幼いものまで合わせると七人もの子をなした年ごろに達している。今さら、里ごころでもあるまいに。しかし、その年になっても妻籠に帰って来て見ると、やはりおばあさんのそばは彼女にとって自分の家らしかった。ちょうど寿平次は正己を連れ、近くに住む得右衛門を誘い合わせ、祝日の休暇を見つけて山遊びに出かけた留守のおりであったが、年老いてまだ元気なおばあさんは孫のよめに当たるお里を相手に、妻籠旧本陣の表庭にいて手造りの染め糸を乾《ほ》すところであった。男の下着の黄八丈《きはちじょう》にでも織るものと見えて、おばあさんたちが風通しのいいところへ乾している糸の好ましい金茶であるのもお民の目についた。古くから山地の農民の間に実用されて来たように、おばあさんはその黄色な染料を山の小梨《こなし》に取ることから、木槌《きづち》で皮を砕き、日に乾し、煎《せん》じて糸を染めるまで、そういうことをよく知っていた。縫うこと、織ること、染めること、すべてこのおばあさんに仕込まれて、それをまた娘のお粂に伝えているお民としては、たまの里帰りが彼女自身の娘の昔を思い出させないものはない。
やがて天井の高い、広い囲炉裏ばたでは、おばあさんはじめお里やお民が黒光りのする大黒柱の近くに集まって、一しきり子供の話で持ちきった。お里と寿平次の間には長いこと子供がなく、そのために正己を馬籠から迎えて養っていたほどであるが、結婚後何年ぶりかでめずらしい女の子が生まれた。琴柱《ことじ》がその子の名だ
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