心合体して、太陽はこれからかがやこうとの新しい希望を万民に抱《いだ》かせるほどの御実行をあげさせられるようにしたい。それには、非常な決心を要する。眼前にある些少《さしょう》の故障を懸念《けねん》して、この遷都の機会をうしなったら、この国の大事もついに去るであろう――実際、こんなふうに言わるるほどの高い潮《うしお》がやって来ていた。
 一緒に街道を踏んで峠を降りて行く延胤に言わせると、遷都の説はすでに一、二の国学者先輩の書きのこしたものにも見える。それがここまで来て、言わば東幸の形で遷都の実をあげる機運を迎えたのだ。これには伊之助も耳を傾けていた。
 一同の行く先は言うまでもなく中津川の本陣である。ちょうど半蔵の友人景蔵も、香蔵も、共に京都の方から帰って来ているころで、景蔵の家には、めずらしく親しい人たちの顔がそろった。そこには落合から行った半蔵の弟子《でし》勝重《かつしげ》のような若い顔さえ見いだされた。そしてその東美濃の町に延胤を迎えようとする打ちくつろいだ酒盛《さかも》りがあった。その晩は伊之助もめずらしく酔って、半蔵と共に馬籠をさして帰って来たころは夜も深かった。


 三か月ほど後に、中津川の香蔵が美濃を出発し、東京へとこころざして十曲峠《じっきょくとうげ》を登って来たころは、旅するものの足が多く東へ東へと向かっていた。今は主上も東京の方で、そこに皇居を定めたまい、平田家の人々も京都にあった住居《すまい》を畳《たた》んで、すでに新しい都へ移った。
 旅を急ぐ香蔵に門口から声をかけられて見ると、半蔵の方でもそう友人を引き留めるわけに行かない。香蔵は草鞋《わらじ》ばきのまま、本陣の玄関の前から表庭の植木の間を回って、葉ばかりになった牡丹《ぼたん》の見える店座敷の軒先に来て腰掛けた。そこに笠《かさ》を置いて、半蔵が勧める別れの茶を飲んだ。
 文字どおり席の暖まるに暇《いとま》のないような香蔵は、師のあとを追うのに急で、地方の問屋廃止なぞを問題としていない。半蔵はひどく別れを惜しんだ。野尻《のじり》泊まりで友人が立って行った後、彼は大急ぎで自分でもしたくして、木曾福島の旅籠屋《はたごや》までそのあとを追いかけた。
 とうとう、藪原《やぶはら》の先まで追って行った。五日過ぎには彼は友人の後ろ姿を見送って置いて、藪原からひとり街道を帰って来る人であった。旧暦五月の日の光
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