のものであったことも、後になってわかった。山村家であの関所を護《まも》るために備えて置いてあった大砲二門、車台二|輛《りょう》、小銃二十|挺《ちょう》、弓|十張《とはり》、槍《やり》十二筋、三つ道具二通り、その他の諸道具がすべて尾州藩に引き渡されたのは、暮れの二十六日であった。その時の福島方の立ち合いは、白洲《しらす》新五左衛門と原佐平太とで、騎馬組一列、小頭《こがしら》足軽一統、持ち運びの中間小者《ちゅうげんこもの》など数十人で関所を引き払った。もっとも、尾州方の依頼で騎馬組七人だけは残ったが、二月六日にはすでに廃関が仰せ出された。
福島代官所の廃止もそのあとに続いた。山村氏が木曾谷中の支配も当分立ち合いの名儀にとどまって、実際の指揮はすでに福島興禅寺を仮の本営とする尾州|御側用人《おそばようにん》吉田猿松《よしださるまつ》の手に移った。多年山村氏の配下にあった家中衆も、すべてお暇《いとま》を告げることになり、追って禄高《ろくだか》等の御沙汰《ごさた》のある日を待てと言われるような時がやって来た。
木曾谷の人民はこんなふうにして新しい主人公を迎えた。福島の代官所もやがて総管所と改められるころには、御一新の方針にもとづく各宿駅の問屋の廃止、および年寄役の廃止を告げる総管所からのお触れが半蔵のもとにも届いた。それには人馬|継立《つぎた》ての場所を今後は伝馬所と唱えるはずである。ついては二名の宿方総代を至急福島へ出頭させるようにとも認《したた》めてある。もはや、革新につぐ革新、破壊につぐ破壊だ。
「お母《っか》さん、いよいよ問屋も御廃止ということになりました。」
「そうだそうな。わたしはお民からも聞いたよ。」
「会所もいよいよ解散です。年寄役というものも御廃止です。」
半蔵と継母のおまんとはこんな言葉をかわしながら、互いの顔を見合わせた。
「さっき、わたしはお民とも相談したよ。こんな話を聞いたらあのお父《とっ》さんはきっとびっくりなさる。まあ、お前にも言って置くが、このことはお父さんの耳へは入れないことにせまいか。」
とおまんが言い出した。
さすがに賢い継母も一切を父吉左衛門には隠そうと言うほど狼狽《ろうばい》していた。その年の正月にはおくればせながら父も古稀《こき》の祝いを兼ねて、病中世話になった親戚《しんせき》知人のもとへしるしばかりの蕎麦《そば》を配
前へ
次へ
全210ページ中170ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング