ル人、イスパニヤ人御追放なされ候ころは、ただいまとは外国の風習大いに異なり申し候。そのころは宗門の事を皆願いおり申し候。アメリカにては宗門などは皆、人々の望みに任せ、それこれを禁じまたは勧め候ようのことさらにこれなく候。何を信仰いたし候とも人々の心次第に御座候。当時ヨーロッパにては信仰の基本を見出し申し候。右は銘々の心より信じ候ゆえ、その心に任せ候よりほかにいたし方これなくと決着つかまつり候。宗門種々これあり候えども、畢竟《ひっきょう》人を善《よ》くいたし候趣意にほかならず。アメリカには仏の堂も耶蘇《ヤソ》の堂も一様に並びおり、一目に見渡し候よういたしあり、宗門につき一人も邪心を抱《いだ》き候ものこれなく、銘々安らかに今日を送り申し候。ホルトガル人、イスパニヤ人など日本へ参り候は自己の儀にて、政府の申し付けにはこれなく候。そのころは罷《まか》り越し候もの売買をいたし、宗門をひろめ、その上、干戈《かんか》をもって日本を横領する内々の所存にて参りし儀と存じ候。右参り候ものは廉直《れんちょく》のものにこれなく、反逆いたす見込みのものゆえ、その人物も推し量られ申し候。幸いに当時は右様のものこれなく候。
――当時の風習は世界一統の睦《むつ》まじきことを心がけ、一方の潤沢を一方に移し、何地《いずち》も平均に相成り候よういたし候ことに御座候。たとえば、英国にて凶作打ち続き食物に困り候えば、豊かなる国より商売を休《や》めその食物を運びつかわし候ようの風儀に御座候。交易と申し候えば品物に限り候よう相聞こえ候えども、新規発明の儀など互いに通じ合い、国益いたし候もまた交易の一端に御座候。諸州勝手に交易いたし候わばその国のもの世界中の儀をことごとく心得候よう相成り申すべく候。もとより農作は国中第一の業に候えども、国内のものことごとく農作いたし候ようには相成り申さず、その中には職人も産業いたし候ものもこれあり、互いに助け合う儀にこれあり候。国々によりては、他国の方に細工奇麗にて価も安き品|数多《あまた》これあり候。国用より多く出来《しゅったい》いたし候品は外国へ相渡し、その国になき産物は他邦より運び入れ候儀に御座候。それゆえ、諸国の交易いたし候えば、造り出し候品も多く相成り、かつは外国の品物も自由にいたし候儀もでき申し候。自己の製し申さざる品々も容易に得られ候は、容易にこれあり候。交易は直ち
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