さは、木曾の山の中をも静かにしては置かなかった。
こんな空気の中で、半蔵は伊之助らと共に馬籠本宿の東のはずれ近くまで禰宜《ねぎ》を送って行った。恵那山《えなさん》を最高の峰とする幾つかの山嶽《さんがく》は屏風《びょうぶ》を立て回したように、その高い街道の位置から東の方に望まれる。古代の人の東征とは切り離して考えられないような古い歴史のある御坂越《みさかごえ》のあたりまでが、六月の朝の空にかたちをあらわして、戦地行きの村の子を送るかに見えていた。
峠の上には、別に宿内の控えとなっている一小部落がある。西のはずれで狸《たぬき》の膏薬《こうやく》なぞを売るように、そこには、名物|栗《くり》こわめしの看板を軒にかけて、木曾路を通る旅人を待つ御休処《おやすみどころ》もある。峠村組頭の平兵衛が家はその部落の中央にあたる一里塚の榎《えのき》の近くにある。その朝、半蔵らは禰宜と共に平兵衛方の囲炉裏ばたに集まって、馬の顔を出した馬小屋なぞの見えるところで、互いに別れの酒をくみかわした。
「越後から逃げて帰って来る農兵もあるし、禰宜さまのように自分から志願して、勇んで出て行く人もある。全く世の中はよくできていますな。」
問屋九郎兵衛の言い草だ。
「伊之助さん――どうやらこの分じゃ、村からけが人も出さずに済みそうですね。」
「例の百姓一揆のですか。そう言えば、与川《よがわ》じゃ七人だけ、福島のお役所へ呼び出されることになったそうです。ところが七人が七人とも、途中で欠落《かけおち》してしまったという話でさ。」
半蔵と伊之助とは峠でこんな言葉をかわして笑った。
とりあえず松本辺まで行ってそれから越後口へ向かうという松下千里が郷里を離れて行く後ろ姿を見送った後、半蔵は伊之助と連れだってもと来た道を帰るばかりになった。峠のふもとをめぐる坂になった道、浅い谷、その辺は半蔵が歩くことを楽しみにするところだ。そこいらではもう暑さを呼ぶような山の蝉《せみ》も鳴き出した。
非常時の夏はこんな辺鄙《へんぴ》な宿はずれにも争われない。会津戦争の空気はなんとなく各自の生活に浸って来た。それを半蔵らは街道で行きあう村の子供の姿にも、畠《はたけ》の方へ通う百姓の姿にも、牛をひいて本宿の方へ荷をつけに行く峠村の牛方仲間の姿にも読むことができた。時には「尾州藩御用」とした戦地行きの荷物が駄馬《だば》の背
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