州藩のことですから、いずれ京都政府へ届け出るでしょう。政務の不行き届きからこんな騒擾《さわぎ》に及んだのは恐れ入り奉るぐらいのことは届け出るでしょう、届け出はするが、千百五十余人の百姓一揆はざっと四、五百人、実際はそれ以下の二、三百人ぐらいのことに書き出しましょう。徒党の頭取《とうどり》になったものも、どう扱いますかさ。ひょっとすると、この事件は尾州藩で秘密に葬ってしまうかもしれません。あるいは徒党の頭取になったものだけを木曾福島へ呼び出して、あの代官所で調べるぐらいのことはありましょうか。ナニ、それも以前のように、重いお仕置《しおき》にはしますまいよ。これが以前ですと、重々不届き至極《しごく》だなんて言って、引き回したり、梟首《さらしくび》にしたりしたものですけれど。」
「でも、お父《とっ》さん。」と勝重がそれを引き取って、「番太の娘に戯れたぐらいで打ち首になった因州の武士は東山道軍が通過の時にもありますよ。今度の新政府は徒党を組むことをやかましく言うじゃありませんか。宿々の御高札場にまでそれを掲げるくらいにして、浮浪者と徒党を厳禁していますよ。」
「ついでに、六十一万九千五百石(幕府時代に封ぜられた尾州家の禄高《ろくだか》をさす)を半分にでも削るか。」
と儀十郎は戯れた。
半蔵がこの奥座敷を離れたのは、それから間もなくであった。彼が表の入り口の土間に降りるところで平兵衛と一緒になった時は、家の人の心づかいかして、草鞋《わらじ》まで新規に取り替えたのがそこに置いてある。そればかりでなく、勝重の母親はよめと共に稲葉屋の門口に出て、礼を述べて行く半蔵らを見送った。
「お師匠さま。」
と言いながら、半蔵の後ろから手を振って追いかけて来るのは勝重だ。京都の方で半蔵が見たり聞いたりして来たこと、大坂行幸の新帝には天保山《てんぽうざん》の沖合いの方で初めて海軍の演習を御覧になったとのうわさの残っていたこと、あの復興最中の都にあるものは宗教改革の手始めから地方を府藩県に分ける新制度の施設まで、何一つ試みでないもののないことなど、歩きながらの彼の旅の話が勝重の心をひいた。勝重は落合の宿はずれまで半蔵について来て、別れぎわに言った。
「そうでしょうなあ。何から手をつけていいかわからないような時でしょうなあ。どうでしょう、お師匠さま、今度の百姓一揆のあと始末なぞも、吾家《うち》
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