が急に四百二十四文もする。会津の方の戦争に、こんな物価の暴騰に、おまけに天候の不順だ。いろいろと起こって来た事情は旅をも困難にした。

       二

 京都から大湫《おおくて》まで、半蔵らはすでに四十五里ほどの道を歩いた。大湫は伊勢参宮または名古屋への別れ道に当たる鄙《ひな》びた宿場で、その小駅から東は美濃《みの》らしい盆地へと降りて行くばかりだ。三里半の十三峠を越せば大井の宿へ出られる。大井から中津川までは二里半しかない。
 百三十日あまり前に東山道軍の先鋒隊《せんぽうたい》や総督御本陣なぞが錦《にしき》の御旗《みはた》を奉じて動いて行ったのも、その道だ。畠《はたけ》の麦は熟し、田植えもすでに終わりかけるころで、行く先の立場《たてば》は青葉に包まれ、草も木も共に六月の生気を呼吸していた。長雨あげくの道中となれば、めっきり強い日があたって来て、半蔵も平兵衛も路傍の桃の葉や柿《かき》の葉のかげで汗をふくほど暑い。
「でも、半蔵さま、歩きましたなあ。なんだかおれはもうよっぽど長いこと家を留守にしたような気がする。」
「馬籠《まごめ》の方でも、みんなどうしているかさ。」
「なんだぞなし。きっと、今ごろは田植えを済まして、こちらのうわさでもしていませず。」
 こんな話をしながら、二人《ふたり》は道を進んだ。
 時には、また街道へ雨が来る。青葉という青葉にはもうたくさんだと思われるような音がある。せっかくかわいた道路はまた見る間にぬれて行った。笠《かさ》を傾《かたぶ》けるもの、道づれを呼ぶもの、付近の休み茶屋へとかけ込むもの、途中で行きあう旅人の群れもいろいろだ。それは半蔵らが伊勢路や京都の方で悩んだような雨ではなくて、もはや街道へ来る夏らしい雨である。予定の日数より長くなった今度の旅といい、心にかかる郷里の方のうわさといい、二人ともに帰路を急いでいて、途中に休む気はなかった。たとい風雨の中たりともその日の午後のうちに三里半の峠を越して、泊まりと定めた大井の宿まではと願っていた。
 日暮れ方に、半蔵らは大井の旅籠屋《はたごや》にたどり着いた。そこまで帰って来れば、尾張《おわり》の大領主が管轄の区域には属しながら、年貢米《ねんぐまい》だけを木曾福島の代官山村氏に納めているような、そういう特別な土地の関係は、中津川辺と同じ縄張《なわば》りの内にある。挨拶《あいさつ》に来る亭
前へ 次へ
全210ページ中124ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング