あなたの前ですが、この谷には、てんで平田の国学なぞははいらない。皆、漢籍一方で堅めきっていますからね。伊那から美濃地方のようなわけにはいかない。どうしても、世におくれる。でも青山さん、見ていてください。福島にも有志の者がなくはありませんよ。」
口にこそ出さなかったが、秀作は肩にする鉄砲に物を言わせ、雉《きじ》でも打ちに行くらしいその猟師筒に春待つ心を語らせて、来たるべき時代のために勤王の味方に立とうとするものはここにも一人《ひとり》いるという意味を通わせた。
思いがけなく声をかけられた人にも別れて、やがて半蔵らはさくさく音のする雪の道を踏みながら、塩淵《しおぶち》というところまで歩いた。そこは山の尾をめぐる一つの谷の入り口で、西から来るものはその崖《がけ》になった坂の道から、初めて木曾福島の町をかなたに望むことのできるような位置にある。半蔵は帰って行く人だが、その眺望《ちょうぼう》のある位置に出た時は、思わず後方《うしろ》を振り返って見て、ホッと深いため息をついた。
三
木曾の寝覚《ねざめ》で昼、とはよく言われる。半蔵らのように福島から立って来たものでも、あるいは西の方面からやって来るものでも、昼食の時を寝覚に送ろうとして道を急ぐことは、木曾路を踏んで見るもののひとしく経験するところである。そこに名物の蕎麦《そば》がある。
春とは言いながら石を載せた坂屋根に残った雪、街道のそばにつないである駄馬《だば》、壁をもれる煙――寝覚の蕎麦屋あたりもまだ冬ごもりの状態から完全に抜けきらないように見えていた。半蔵らは福島の立ち方がおそかったから、そこへ着いて足を休めようと思うころには、そろそろ食事を終わって出発するような伊勢参宮の講中もある。黒の半合羽《はんがっぱ》を着たまま奥の方に腰掛け、膳《ぜん》を前にして、供の男を相手にしきりに箸《はし》を動かしている客もある。その人が中津川の景蔵だった。
偶然にも、半蔵はそんな帰村の途中に、しかも寝覚《ねざめ》の床《とこ》の入り口にある蕎麦屋の奥で、反対の方角からやって来た友人と一緒になることができた。景蔵は、これから木曾福島をさして出掛けるところだという。聞いて見ると、地方《じかた》御役所からの差紙《さしがみ》で。中津川本陣としてのこの友人も、やはり半蔵と同じような呼び出され方で。
「半蔵さん、これはなんと
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