の言い草なんだ、そう言っていますよ。早い話が、江戸幕府のために身命をなげうとうというものがなくなって来たんですね。各藩共に、一人でも兵を損じまいというやり方で、徳川政府というよりも自分らの藩のことを考えるようになって来たんですね。」
「そう言われて見ると、助郷《すけごう》村々の百姓だっても、徳川様の御威光というだけではもう動かなくなって来てるからな。」
「まあ、名古屋の御留守居あたりじゃ、この成り行きがどうなるかと思って見ているありさまです。最初から尾州ではこんな長州征伐には反対だ、御隠居の諫《いさ》めを用いさえすれば幕府もこんな羽目《はめ》にはおちいらなかった、そう言って憤慨しないものはありません。なんでも、石州口の方じゃ、浜田の城も落ちたといううわさです。おまけに公方様《くぼうさま》は御病気のようなうわさも聞いて来ましたよ。」
吉左衛門は深いため息をついた。
ともあれ、この名古屋行きは半蔵にとって、いくらかでも彼の目をあけることに役立った。たとい、京都までは行かず、そこに全国の門人らを励ましつつある師|鉄胤《かねたね》をも見ずじまいではあっても、すくなくも西の空気の通う名古屋まで行って、尾州藩に頭を持ち上げて来ている田中|寅三郎《とらさぶろう》、丹羽淳太郎《にわじゅんたろう》の人たちを知るようになり、来たるべき時代のためにそれらの少壮有為な藩士らがせっせとしたくを始めていることを知っただけでも、彼にはこの小さな旅の意味があった。
「今夜はもうおそい。お父《とっ》さんもお母《っか》さんも休んでください。」
そう言って店座敷の方へ行ってからも、彼は名古屋で探って来たことが心にかかって、そのまま眠りにはつけなかった。
父にこそ告げなかったが、日に日に切迫して行く関西の形勢が彼を眠らせなかった。彼はそれを田宮如雲《たみやじょうん》のような勤王家に接近する尾州藩の人たちの口ぶりから知って来たばかりでなく、従来|会津《あいづ》と共に幕府を助けて来た薩摩《さつま》が公武一和から討幕へと大きく方向を転換し、薩長の提携はもはや公然の秘密であるばかりでなく、イギリスのような外国の勢力までがこれを助けているといううわさからも知って来た。王政復古を求める声は後年を待つまでもなく、前の年、慶応元年の後半期あたり、将軍辞職の真相の知れ渡る前後あたりから、すでに、すでに諸国に起こって
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