かった。ただフランス人の癖らしく両手をひろげて、肩をゆすって見せたばかりだ。
のみならず、ロセスはせっかく勅書まで持参した幕府側の苦心を知るだけの思いやりもあって、この際どうすればいいかという方法まで松平老中に教えた。それには、老中連名の書面をすみやかに渡してもらいたい。その文意はカションの通訳で大体駿河からきいたように、国事多端の際であるからこの地では事を尽くせない、兵庫開港の事も将軍においては承諾している、これらはことごとく江戸にある水野|和泉守《いずみのかみ》に任すべきゆえ、すみやかに江戸において談判せられよ、京都の皇帝へは外国事情をよく告げ置くであろうとの趣に認《したた》めてもらいたい。自分はその書面を証拠として、今夜各国公使へ説諭し、明日はすみやかに退帆するように取り計らうことにする。そうすれば目下の急を救うこともできよう。これが仏国公使の意見であった。
「さて、これはどうしたものであろう。拙者|一人《ひとり》ならすぐにもこの書面は認《したた》められる。同僚連署ということであれば、一応その人たちに相談した上でないと渡されない。はて、困ったことになったわい。」
松平伯耆は順動丸に帰ってからそれを言った。
夜はすでに八つ時を過ぎた。それから京都に往復して相談なぞをしていると、翌日の間に合わない。一行にとってこれは見のがせない機会でもあった。もし翌日になって、各国の船艦が大坂まで動き、淀川をさかのぼって京都に行くようなことが起こったら、人心も動揺する憂いがあった。駿河はそのことを松平伯耆に言って、今は一刻もむなしく過せない、仏国公使の厚意をむなしくしたらあとになって臍《ほぞ》をかんでも追いつかない、これは大事の前の小事である、老中連署が不承知とあれば御一存で処置せられたい、付き添いの任はまっぴら御免をこうむると述べた。松平老中もしかたなしに、然らば好《よ》きように取り計らえ、後日同僚に不平があっても自分の罪ではないと言う。駿河は甘んじてその責めを受けた。書面は同行の祐筆《ゆうひつ》が認《したた》めた。老中松平伯耆守、同じく松平周防守、同じく小笠原壱岐守の名が書かれた。みんなが暗記する花押《かおう》までその紙の上に記《しる》された。
この老中連署の書面が仏国公使の手を通して、英船へも、米蘭両船へも持ち運ばれたころは、夜も深かった。駿河がひとり仏国船に出かけ
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