は攘夷――尊王は遠い理想、攘夷は当面の外交問題であるからである。しかし、あの真木和泉にはそれを結びつけるだけの誠意があった。衆にさきがけして諸国の志士を導くに足るだけの熱意があった。もはやその人はない。尊攘の運動は事実においてすでにその中心の人物を失っている。のみならず、筑後水天宮《ちくごすいてんぐう》の祠官《しかん》の家に生まれ、京都学習院の徴士にまで補せられ、堂々たる朝臣の列にあった真木和泉がたとい生きながらえているとしても、大和《やまと》行幸論に一代を揺り動かしたほどの熱意を持ちつづけて、今後もあの尊攘論で十八隻から成る英米仏蘭四国の連合艦隊を向こうに回すようなこの国の難局を押し通せるものかどうか。尊王と攘夷との切り離して考えられるような時がようやくやって来たのではなかろうか。これが景蔵の意見であった。
景蔵は言った。
「どうでしょう、尊攘ということもあの水戸の人たちを最後とするんじゃありますまいか。」
「しかし、景蔵さん。」とその時、香蔵は年上の友だちの話を引き取って言った。「あの亀山嘉治《かめやまよしはる》なぞは、そうは考えていませんぜ。」
「亀山は亀山、われわれはわれわれですさ。」と景蔵は言う。
「そういう景蔵さんの意見は、実際の京都生活から来てる。どうもわたしはそう思う。」
「そんなら見たまえ、長州藩あたりじゃ伊藤俊助《いとうしゅんすけ》だの井上聞多《いのうえもんた》だのという人たちをイギリスへ送っていますぜ。それが君、去年あたりのことですぜ。あの人たちの密航は、あれはなかなか意味が深いといううわさです。攘夷派の筆頭として知られた長州藩の人たちがそれですもの。」
「世の中も変わって来ましたな。」
「まあ、わたしに言わせると、尊攘ということを今だにまっ向《こう》から振りかざしているのは、水戸ばかりじゃないでしょうか。そこがあの人たちの実に正直なところでもありますがね。」
木曾山の栗《くり》の季節はすでに過ぎ去り、青い香のする焼き米にもおそい。それまで半蔵は炬燵《こたつ》の上に手を置いて二人の友だちの話を聞いていたが、雪の来るまで枯れ枝の上に残ったような信濃柿《しなのがき》の小粒で霜に熟したのなぞをそこへ取り出して来て、景蔵や香蔵と一緒に熱い茶をすすりながら、店座敷の行燈《あんどん》のかげに長い冬の夜を送ろうとしていた。彼にして見ると、ヨーロッパを
前へ
次へ
全217ページ中114ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング