また、また、土蔵も残らず打ち破り家屋敷もことごとく焼き崩《くず》して浪士らの足だまりのないようにされるとの風聞が伝わった。それを聞いたものは皆大いに驚いて、一度土蔵にしまった大切な品物をまた持ち出し、穴を掘って土中に埋めるものもあれば、畑の方へ持ち出すものもある。何はともあれ、この雨天ではしのぎかねると言って、できるだけ衣類を背負《しょ》うことに気のつくものもある。人々は互いにこの混乱の渦《うず》の中に立った。乱世もこんなであろうかとは、互いの目がそれを言った。付近の老若男女はその夜のうちに山の方へ逃げ失《う》せ、そうでないものは畑に立ち退《の》いて、そこに隠れた。
 伊賀守《いがのかみ》としての武田耕雲斎を主将に、水戸家の元町奉行《もとまちぶぎょう》田丸稲右衛門を副将に、軍学に精通することにかけては他藩までその名を知られた元小姓頭取《もとこしょうとうどり》の山国兵部《やまぐにひょうぶ》を参謀にする水戸浪士の群れは、未明に和田宿を出発してこの街道を進んで来た。毎日の行程およそ四、五里。これは雑兵どもが足疲れをおそれての浪士らの動きであったが、その日ばかりは和田峠を越すだけにも上り三里の道を踏まねばならなかった。
 天気は晴れだ。朝の空には一点の雲もなかった。やがて浪士らは峠にかかった。八本の紅白の旗を押し立て、三段に別れた人数がまっ黒になってあとからあとからと峠を登った。両|餅屋《もちや》はすでに焼き払われていて、その辺には一人《ひとり》の諏訪兵をも見なかった。先鋒隊《せんぽうたい》が香炉岩《こうろいわ》に近づいたころ、騎馬で進んだものはまず山林の間に四発の銃声を聞いた。飛んで来る玉は一発も味方に当たらずに、木立ちの方へそれたり、大地に打ち入ったりしたが、その音で伏兵のあることが知れた。左手の山の上にも諏訪への合図の旗を振るものがあらわれた。
 山間《やまあい》の道路には行く先に大木が横たえてある。それを乗り越え乗り越えして進もうとするもの、幾多の障害物を除こうとするもの、桟《かけはし》を繕おうとするもの、浪士側にとっては全軍のために道をあけるためにもかなりの時を費やした。間もなく香炉岩の上の山によじ登り、そこに白と紺とを染め交ぜにした一本の吹き流しを高くひるがえした味方のものがある。一方の山の上にも登って行って三本の紅《あか》い旗を押し立てるものが続いた。浪
前へ 次へ
全217ページ中90ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング