見ると、旅の枕《まくら》もとに置いてある児童の読本《よみほん》でも読んでくれと言った。幸兵衛も長い滞在に疲れたかして、そのそばに毛深い足を投げ出していた。
ようやく十月の下旬にはいって、三人の庄屋は道中奉行からの呼び出しを受けた。都筑駿河《つづきするが》の役宅には例の徒士目付《かちめつけ》が三人を待ち受けていて、しばらく一室に控えさせた後、訴え所《じょ》の方へ呼び込んだ。
「ただいま駿河守は登城中であるから、自分が代理としてこれを申し渡す。」
この挨拶《あいさつ》が公用人からあって、十一宿総代のものは一通の書付を読み聞かせられた。それには、定助郷《じょうすけごう》嘆願の趣ももっともには聞こえるが、よくよく村方の原簿をお糺《ただ》しの上でないと、容易には仰せ付けがたいとある。元来定助郷は宿駅の常備人馬を補充するために、最寄《もよ》りの村々へ正人馬勤《しょうじんばづと》めを申し付けるの趣意であるから、宿駅への距離の関係をよくよく調査した上でないと、定助郷の意味もないとある。しかし三人の総代からの嘆願も余儀なき事情に聞こえるから、十一宿救助のお手当てとして一宿につき金三百両ずつを下し置かれるとある。ただし、右はお回《まわ》し金《きん》として、その利息にて年々各宿の不足を補うように心得よともある。別に、三人は請書《うけしょ》を出せと言わるる三通の書付をも公用人から受け取った。それには十一宿あてのお救いお手当て金下付のことが認《したた》めてあって、駿河《するが》佐渡《さど》二奉行の署名もしてある。
木曾地方における街道付近の助郷が組織を完備したいとの願いは、ついにきき入れられなかった。三人の庄屋は定助郷設置のかわりに、そのお手当てを許されただけにも満足しなければならなかった。その時、庄屋方から差し出してあった人馬立辻帳《じんばたてつじちょう》、宿勘定仕訳帳等の返却を受けて、そんなことで屋敷から引き取った。
「どうも、こんな膏薬《こうやく》をはるようなやり方じゃ、これから先のことも心配です。」
両国の十一屋まで三人一緒に戻《もど》って来た時、半蔵はそれを言い出したが、心中の失望は隠せなかった。
「半蔵さんはまだ若い。」と幸兵衛は言った。「まるきりお役人に誠意のないものなら、一|文《もん》だってお手当てなぞの下がるもんじゃありません。」
「まあ、まあ、これくらいのとこ
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