来る半蔵の結婚の日のことは、すでにしばしば吉左衛門夫婦の話に上るころであった。隣宿|妻籠《つまご》の本陣、青山|寿平次《じゅへいじ》の妹、お民《たみ》という娘が半蔵の未来の妻に選ばれた。この忰《せがれ》の結婚には、吉左衛門も多くの望みをかけていた。早くも青年時代にやって来たような濃い憂鬱《ゆううつ》が半蔵を苦しめたことを想《おも》って見て、もっと生活を変えさせたいと考えることは、その一つであった。六十六歳の隠居半六から家督を譲り受けたように、吉左衛門自身もまた勤められるだけ本陣の当主を勤めて、あとから来るものに代《よ》を譲って行きたいと考えることも、その一つであった。半蔵の結婚は、やがて馬籠の本陣と、妻籠の本陣とを新たに結びつけることになる。二軒の本陣はもともと同姓を名乗るばかりでなく、遠い昔は相州三浦の方から来て、まず妻籠に落ち着いた、青山|監物《けんもつ》を父祖とする兄弟関係の間柄でもある、と言い伝えられている。二人《ふたり》の兄弟は二里ばかりの谷間をへだてて分かれ住んだ。兄は妻籠に。弟は馬籠に。何百年来のこの古い関係をもう一度新しくして、末《すえ》頼もしい寿平次を半蔵の義理ある兄
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