を胸に浮かべた。雨にも風にもこの交通の要路を引き受け、旅人の安全を第一に心がけて、馬方《うまかた》、牛方《うしかた》、人足の世話から、道路の修繕、助郷《すけごう》の掛合《かけあい》まで、街道一切のめんどうを見て来たその心づかいは言葉にも尽くせないものがあった。
吉左衛門は炉ばたにいて、妻のおまんが温《あたた》めて出した一本の銚子と、到来物の鮎《あゆ》の塩焼きとで、自分の五十五歳を祝おうとした。彼はおまんに言った。
「きょうの長崎奉行にはおれも感心したねえ。水野|筑後《ちくご》の守《かみ》――あの人は二千石の知行《ちぎょう》取りだそうだが、きょうの御通行は十万石の格式だぜ。非常に破格な待遇さね。一足飛びに十万石の格式なんて、今まで聞いたこともない。それだけでも、徳川様の代《よ》は変わって来たような気がする。そりゃ泰平無事な日なら、いくら無能のものでも上に立つお武家様でいばっていられる。いったん、事ある場合に際会してごらん――」
「なにしろあなた、この唐人船の騒ぎですもの。」
「こういう時世になって来たのかなあ。」
寛《くつろ》ぎの間《ま》と名づけてあるのは、一方はこの炉ばたにつづき、
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