中の人足を寄せ集めたところで、その数はおおよそ知れたものである。それにはどうしても伊那《いな》地方の村民を動かして、多数な人馬を用意し、この未曾有の大通行に備えなければならない。
木曾街道六十九次の宿場はもはや嘉永《かえい》年度の宿場ではなかった。年老いた吉左衛門や金兵衛がいつまでも忘れかねているような天保《てんぽう》年度のそれではもとよりなかった。いつまで伊那の百姓が道中奉行の言うなりになって、これほど大がかりな人馬の徴集に応ずるかどうかはすこぶる疑問であった。
馬は四分より一|疋《ぴき》出す。人足は五分より一人《ひとり》出す。人馬共に随分丈夫なものを出す。老年、若輩、それから弱馬などは決して出すまい。
これは伊那地方の村民総代と木曾谷にある下四宿の宿役人との間に取りかわされた文化《ぶんか》年度以来の契約である。馬の四分とか、人足の五分とかは、石高《こくだか》に応じての歩合《ぶあい》をさして言うことであって、村々の人馬はその歩合によって割り当てを命じられて来た。もっともこの歩合は天保年度になって多少改められたが、人馬徴集の大体の方針には変わりがなかった。
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