を求めるために港内に碇泊《ていはく》しているとのうわさもある。

       三

 七月を迎えるころには、寛斎は中津川の家を養子に譲り、住み慣れた美濃の盆地も見捨て、かねて老後の隠棲《いんせい》の地と定めて置いた信州伊那の谷の方へ移って行った。馬籠にはさびしく旧師を見送る半蔵が残った。
「いよいよ先生ともお別れか。」
 と半蔵は考えて、本陣の店座敷の戸に倚《よ》りながら、寛斎が引き移って行った谷の方へ思いを馳《は》せた。隣宿|妻籠《つまご》から伊那への通路にあたる清内路《せいないじ》には、平田門人として半蔵から見れば先輩の原|信好《のぶよし》がある。御坂峠《みさかとうげ》、風越峠《かざこしとうげ》なぞの恵那《えな》山脈一帯の地勢を隔てた伊那の谷の方には、飯田《いいだ》にも、大川原にも、山吹《やまぶき》にも、座光寺にも平田同門の熱心な先輩を数えることができる。その中には、篤胤大人|畢生《ひっせい》の大著でまだ世に出なかった『古史伝』三十一巻の上木《じょうぼく》を思い立つ座光寺の北原稲雄《きたはらいなお》のような人がある。古学研究の筵《むしろ》を開いて、先師遺著の輪講を思い立つ山吹の片
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