の精神で、その言うところを約《つづ》めて見ると、「自然《おのずから》に帰れ」と教えたことになる。より明るい世界への啓示も、古代復帰の夢想も、中世の否定も、人間の解放も、または大人のあの恋愛観も、物のあわれの説も、すべてそこから出発している。伊勢《いせ》の国、飯高郡《いいだかごおり》の民として、天明《てんめい》寛政《かんせい》の年代にこんな人が生きていたということすら、半蔵らの心には一つの驚きである。早く夜明けを告げに生まれて来たような大人は、暗いこの世をあとから歩いて来るものの探るに任せて置いて、新しい世紀のやがてめぐって来る享和《きょうわ》元年の秋ごろにはすでに過去の人であった。半蔵らに言わせると、あの鈴《すず》の屋《や》の翁《おきな》こそ、「近《ちか》つ代《よ》」の人の父とも呼ばるべき人であった。
香蔵は半蔵に言った。
「今になって、想《おも》い当たる。宮川先生も君、あれで中津川あたりじゃ国学者の牛耳《ぎゅうじ》を執ると言われて来た人ですがね、年をとればとるほど漢学の方へ戻《もど》って行かれるような気がする。先生には、まだまだ『漢《から》ごころ』のぬけ切らないところがあるんですね
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