いた。お民は彼のそばで、二人《ふたり》の間に生まれた愛らしい女の子を抱くようになった。お粂《くめ》というのがその子の名で、それまで彼の知らなかったちいさなものの動作や、物を求めるような泣き声や、無邪気なあくびや、無心なほほえみなぞが、なんとなく一人前になったという心持ちを父としての彼の胸の中によび起こすようになった。その新しい経験は、今までのような遠いところにあるものばかりでなしに、もっと手近なものに彼の目を向けさせた。
「おれはこうしちゃいられない。」
そう思って、辺鄙《へんぴ》な山の中の寂しさ不自由さに突き当たるたびに、半蔵は自分の周囲を見回した。
「おい、峠の牛方衆《うしかたしゅう》――中津川の荷物がさっぱり来ないが、どうしたい。」
「当分休みよなし。」
「とぼけるなよ。」
「おれが何を知らすか。当分の間、角十《かどじゅう》の荷物を付け出すなと言って、仲間のものから差し留めが来た。おれは一向知らんが、仲間のことだから、どうもよんどころない。」
「困りものだな。荷物を付け出さなかったら、お前たちはどうして食うんだ。牛行司《うしぎょうじ》にあったらよくそう言ってくれ。」
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