てくれる人はなかったんですもの。」
「お前は機《はた》でも織っていてくれれば、それでいいよ。」
 お民は容易にすすり泣きをやめなかった。半蔵は思いがけない涙を聞きつけたというふうに、そばへ寄って妻をいたわろうとすると、
「教えて。」
 と言いながら、しばらくお民は夫の膝《ひざ》に顔をうずめていた。
 ちょうど本陣では隠居が病みついているころであった。あの婆《ばあ》さんももう老衰の極度にあった。
「おい、お民、お前は祖母《おばあ》さんをよく看《み》てくれよ。」
 と言って、やがて半蔵は隠居の臥《ね》ている部屋《へや》の方へお民を送り、自分でも気を取り直した。
 いつでも半蔵が心のさみしいおりには、日ごろ慕っている平田|篤胤《あつたね》の著書を取り出して見るのを癖のようにしていた。『霊《たま》の真柱《まはしら》』、『玉だすき』、それから講本の『古道大意』なぞは読んでも読んでも飽きるということを知らなかった。大判の薄藍色《うすあいいろ》の表紙から、必ず古紫の糸で綴《と》じてある本の装幀《そうてい》までが、彼には好ましく思われた。『静《しず》の岩屋《いわや》』、『西籍概論《さいせきがいろん》』の筆記録から、三百部を限りとして絶版になった『毀誉《きよ》相半ばする書』のような気吹《いぶき》の舎《や》の深い消息までも、不便な山の中で手に入れているほどの熱心さだ。平田篤胤は天保《てんぽう》十四年に没している故人で、この黒船騒ぎなぞをもとより知りようもない。あれほどの強さに自国の学問と言語の独立を主張した人が、嘉永《かえい》安政の代に生きるとしたら――すくなくもあの先輩はどうするだろうとは、半蔵のような青年の思いを潜めなければならないことであった。
 新しい機運は動きつつあった。全く気質を相異《あいこと》にし、全く傾向を相異にするようなものが、ほとんど同時に踏み出そうとしていた。長州《ちょうしゅう》萩《はぎ》の人、吉田松陰《よしだしょういん》は当時の厳禁たる異国への密航を企てて失敗し、信州|松代《まつしろ》の人、佐久間象山《さくましょうざん》はその件に連座して獄に下ったとのうわさすらある。美濃の大垣《おおがき》あたりに生まれた青年で、異国の学問に志し、遠く長崎の方へ出発したという人の話なぞも、決してめずらしいことではなくなった。
「黒船。」
 雪で明るい部屋《へや》の障子に近く行って
前へ 次へ
全237ページ中48ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング