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     第二章

       一

 十曲峠《じっきょくとうげ》の上にある新茶屋には出迎えのものが集まった。今度いよいよ京都本山の許しを得、僧|智現《ちげん》の名も松雲《しょううん》と改めて、馬籠《まごめ》万福寺の跡を継ごうとする新住職がある。組頭《くみがしら》笹屋《ささや》の庄兵衛《しょうべえ》はじめ、五人組仲間、その他のものが新茶屋に集まったのは、この人の帰国を迎えるためであった。
 山里へは旧暦二月末の雨の来るころで、年も安政《あんせい》元年と改まった。一同が待ち受けている和尚《おしょう》は、前の晩のうちに美濃《みの》手賀野《てがの》村の松源寺《しょうげんじ》までは帰って来ているはずで、村からはその朝早く五人組の一人《ひとり》を発《た》たせ、人足も二人《ふたり》つけて松源寺まで迎えに出してある。そろそろあの人たちも帰って来ていいころだった。
「きょうは御苦労さま。」
 出迎えの人たちに声をかけて、本陣の半蔵もそこへ一緒になった。半蔵は父吉左衛門の名代《みょうだい》として、小雨の降る中をやって来た。
 こうした出迎えにも、古い格式のまだ崩《くず》れずにあった当時には、だれとだれはどこまでというようなことをやかましく言ったものだ。たとえば、村の宿役人仲間は馬籠の石屋の坂あたりまでとか、五人組仲間は宿はずれの新茶屋までとかいうふうに。しかし半蔵はそんなことに頓着《とんちゃく》しない男だ。のみならず、彼はこうした場処に来て腰掛けるのが好きで、ここへ来て足を休めて行く旅人、馬をつなぐ馬方、または土足のまま茶屋の囲炉裏《いろり》ばたに踏ん込《ご》んで木曾風《きそふう》な「めんぱ」(木製|割籠《わりご》)を取り出す人足なぞの話にまで耳を傾けるのを楽しみにした。
 馬籠の百姓総代とも言うべき組頭庄兵衛は茶屋を出たりはいったりして、和尚の一行を待ち受けたが、やがてまた仲間のもののそばへ来て腰掛けた。御休処《おやすみどころ》とした古い看板や、あるものは青くあるものは茶色に諸|講中《こうじゅう》のしるしを染め出した下げ札などの掛かった茶屋の軒下から、往来一つ隔てて向こうに翁塚《おきなづか》が見える。芭蕉《ばしょう》の句碑もその日の雨にぬれて黒い。
 間もなく、半蔵のあとを追って、伏見屋の鶴松《つるまつ》が馬籠の宿《しゅく》の方からやって来た。鶴松も父|金兵衛《きんべえ
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